「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「性欲」と「知的好奇心」について

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精神分析の大家であるジークムント・フロイトは、

もともと存在した「欲望」を示す言葉「リビドー」と結びつけて、

人間に生じる欲求の起源を片っ端から「性欲」にあると定義した。

 

それがあまりにも行き過ぎたため、

弟子であるカール・グスタフユングは、

「異」を唱えて袂を分かつことになる。

 

賛否はあるのかもしれないけれど、

「種の保存」というもの、


それは言うまでもなく、

生物の持つ「本能」の最たるものだ。


だから脳はその行為に快楽を与えて、

その行為を好むように仕向ける。

種を亡ぼさないためのシステムなのだ。


面白い記事を読んだ。


もしもテクノロジーが発達して人間が無機物化して、

寿命が1000年や10000年になったとして、

当然クローン技術だのは発達しているだろうから、

「種を保存するため」の生殖は必要なくなる。


そうなった場合に残される、

「人間存在の本質」

即ち、本能的なものは何か。

 

記事では「知的好奇心」としていた。


人間は種族としてアーカイブを作っていて、

それを充実させることによって生存競争を勝ち進んできた。

 

情報化社会だ。

今後はさらにその傾向に進むだろう。


そのような主張だ。


「なるほど」と思った。


「生殖」が種の保存の手段、

その最たるものではなくなるのだ。

科学技術の発展がそれを代替する。


既にそういうことが起きている。

むしろ今がまさにその渦中だ。


医療の発達により格段に寿命を延ばし、

積み上げたアーカイブにより、

未曽有のパンデミックと対峙する。


脳内物質やら遺伝子の研究は進み、

寿命を伸ばすために自らの快楽を飼いならし、

生活は何ともアカデミックに様変わりした。


誰もが「健康」という名の宗教に、

意識せずとも入信しているのだ。


「人間の本質」

刃を突きつけるようなテーゼ、


もはや、

生殖は「種の保存」のための行為ではなく、

「快楽」のみが一人歩きした「ゾンビ」か。

 

今でも半ばそういう節がある。

望みさえすれば性風俗や出会い系に繰り出し、

対価を支払い欲望を解消する。

 

さらに手軽にそれを解消するために、

コンテンツはネット上に溢れている。


なぜ「快楽」を伴うのか。

それが「種の保存」に繋がる本能だからだ。

その本能に従って欲求を満たしているだけ、


生物としてのリスクの大きさが異なるから、

男女に違いはあるけれども、

そこに生じる快楽の理由は概ねそういうことだろうか。

 

だけれども、

「種の保存」

目的だけが抜け落ちているのだ。

 

人は「意味」を求める生き物、

 

このような状態が続くと、

行為そのものに疑問を持つようになるんじゃないかな。

 

「若者が恋愛をしなくなる」

「草食男子」

「未経験率の増加」

 

経済的理由がその原因として挙げられるけれど、

本当にそれだけなのだろうか。

 

パーソナリティの肥大化した時代、

人に心を委ねること、

体を委ねることに付き纏うリスク、

それを受け入れ難くなっているんじゃないかな。

 

「理性」が「本能」を凌駕し始めているのだ。

いや「本能」が弱まっているというべきか。


生身の体が触れ合うような欲求の解消方法は、

もしかしたら未来では淘汰されるのかもしれない。


一方で「知的好奇心」


「知らなかったことを知る」

「できなかったことをできるようになる」

「成長」ってやつだ。

 

人は「意味」を求める生き物、

 

先に進んだ気になれる。

人生に「意味」が生まれる。

だから「成長」に喜びが生まれる。

 

その「喜び」の正体が「種の保存」だとすれば、

「成長」により得られる快楽、

 

即ち「知的好奇心」を満たす快楽も、

本能からくるものなのかもしれない。


その出所に考えを巡らせる機会は、

振り返るとあまりなかった。


何とも興味深い。

「人生に意味を求める」

 

それも「種の保存」に繋がる本能なのかな。

 

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雑多になったので主張をまとめる。

 

【まとめ】

 

*「性欲」は「種の保存」との結びつきが弱まり、

「本能」から淘汰されようとしている。

 

*代わりに「知的好奇心」が「種の保存」との結びつきを強めて、

「本能」として台頭してきている。

 

*人類の「本能」が行き着く先は「知的好奇心」であり、

「性欲」は快楽のみを伴う「ゾンビ」のような存在になる。

 

 

最後にここまで書いて思うのだけれども、

「だからなんだ」

そう言われると何も言えない。


あまり論理的に考えすぎると、

どうにも人生が淡白に思えてくる。


できるだけ「誠実」でありたいなんて思ってさ。


色々とやってはみたけれど、

面白おかしく生きているのが、

一番賢いのかもしれないな。

 

時代から言わせれば、

「性欲」は「ゾンビ」なのかもしれないけれど、

それってなんとも男性的な視点だ。

 

相手との関係が確かなものであれば、

体を重ねることにより、

「求められている」

「受け入れてくれる」

「居場所がある」って、

そんな安心感へと繋がる。

 

裏の感情にしたって、

「支配欲」やら「ステータス」やら「生活補助」

異性を求める理由はいくらでもある。

 

結局はそれらを「性欲」と区別することはできないのだ。

 

ここまでは「安心感」で、

ここからここまでは「支配欲」

はい、あなたは正真正銘の「性欲」ですね。

だなんて、

そんなことはわからない。

 

だから「性欲」が「ゾンビ」だろうが大いに結構、

 

人は「意味」を求める生き物だから、

自分を嫌いにならないために責任は取らないといけないけれど、

あとは好きにすればいいのだ。

 

それが私の結論か。

 

やはり「真理」は人に何かを与えるどころか、

人から何かを奪うばかりなのだ。