精神分析の大家であるジークムント・フロイトは、
もともと存在した「欲望」を示す言葉「リビドー」と結びつけて、
人間に生じる欲求の起源を片っ端から「性欲」にあると定義した。
それがあまりにも行き過ぎたため、
「異」を唱えて袂を分かつことになる。
賛否はあるのかもしれないけれど、
「種の保存」というもの、
それは言うまでもなく、
生物の持つ「本能」の最たるものだ。
だから脳はその行為に快楽を与えて、
その行為を好むように仕向ける。
種を亡ぼさないためのシステムなのだ。
面白い記事を読んだ。
寿命が1000年や10000年になったとして、
当然クローン技術だのは発達しているだろうから、
「種を保存するため」の生殖は必要なくなる。
そうなった場合に残される、
「人間存在の本質」
即ち、本能的なものは何か。
記事では「知的好奇心」としていた。
人間は種族としてアーカイブを作っていて、
それを充実させることによって生存競争を勝ち進んできた。
情報化社会だ。
今後はさらにその傾向に進むだろう。
そのような主張だ。
「なるほど」と思った。
「生殖」が種の保存の手段、
その最たるものではなくなるのだ。
科学技術の発展がそれを代替する。
既にそういうことが起きている。
むしろ今がまさにその渦中だ。
医療の発達により格段に寿命を延ばし、
積み上げたアーカイブにより、
未曽有のパンデミックと対峙する。
脳内物質やら遺伝子の研究は進み、
寿命を伸ばすために自らの快楽を飼いならし、
生活は何ともアカデミックに様変わりした。
誰もが「健康」という名の宗教に、
意識せずとも入信しているのだ。
「人間の本質」
刃を突きつけるようなテーゼ、
もはや、
生殖は「種の保存」のための行為ではなく、
「快楽」のみが一人歩きした「ゾンビ」か。
今でも半ばそういう節がある。
望みさえすれば性風俗や出会い系に繰り出し、
対価を支払い欲望を解消する。
さらに手軽にそれを解消するために、
コンテンツはネット上に溢れている。
なぜ「快楽」を伴うのか。
それが「種の保存」に繋がる本能だからだ。
その本能に従って欲求を満たしているだけ、
生物としてのリスクの大きさが異なるから、
男女に違いはあるけれども、
そこに生じる快楽の理由は概ねそういうことだろうか。
だけれども、
「種の保存」
目的だけが抜け落ちているのだ。
人は「意味」を求める生き物、
このような状態が続くと、
行為そのものに疑問を持つようになるんじゃないかな。
「若者が恋愛をしなくなる」
「草食男子」
「未経験率の増加」
経済的理由がその原因として挙げられるけれど、
本当にそれだけなのだろうか。
パーソナリティの肥大化した時代、
人に心を委ねること、
体を委ねることに付き纏うリスク、
それを受け入れ難くなっているんじゃないかな。
「理性」が「本能」を凌駕し始めているのだ。
いや「本能」が弱まっているというべきか。
生身の体が触れ合うような欲求の解消方法は、
もしかしたら未来では淘汰されるのかもしれない。
一方で「知的好奇心」
「知らなかったことを知る」
「できなかったことをできるようになる」
「成長」ってやつだ。
人は「意味」を求める生き物、
先に進んだ気になれる。
人生に「意味」が生まれる。
だから「成長」に喜びが生まれる。
その「喜び」の正体が「種の保存」だとすれば、
「成長」により得られる快楽、
即ち「知的好奇心」を満たす快楽も、
本能からくるものなのかもしれない。
その出所に考えを巡らせる機会は、
振り返るとあまりなかった。
何とも興味深い。
「人生に意味を求める」
それも「種の保存」に繋がる本能なのかな。
雑多になったので主張をまとめる。
【まとめ】
*「性欲」は「種の保存」との結びつきが弱まり、
「本能」から淘汰されようとしている。
*代わりに「知的好奇心」が「種の保存」との結びつきを強めて、
「本能」として台頭してきている。
*人類の「本能」が行き着く先は「知的好奇心」であり、
「性欲」は快楽のみを伴う「ゾンビ」のような存在になる。
最後にここまで書いて思うのだけれども、
「だからなんだ」
そう言われると何も言えない。
あまり論理的に考えすぎると、
どうにも人生が淡白に思えてくる。
できるだけ「誠実」でありたいなんて思ってさ。
色々とやってはみたけれど、
面白おかしく生きているのが、
一番賢いのかもしれないな。
時代から言わせれば、
「性欲」は「ゾンビ」なのかもしれないけれど、
それってなんとも男性的な視点だ。
相手との関係が確かなものであれば、
体を重ねることにより、
「求められている」
「受け入れてくれる」
「居場所がある」って、
そんな安心感へと繋がる。
裏の感情にしたって、
「支配欲」やら「ステータス」やら「生活補助」
異性を求める理由はいくらでもある。
結局はそれらを「性欲」と区別することはできないのだ。
ここまでは「安心感」で、
ここからここまでは「支配欲」
はい、あなたは正真正銘の「性欲」ですね。
だなんて、
そんなことはわからない。
だから「性欲」が「ゾンビ」だろうが大いに結構、
人は「意味」を求める生き物だから、
自分を嫌いにならないために責任は取らないといけないけれど、
あとは好きにすればいいのだ。
それが私の結論か。
やはり「真理」は人に何かを与えるどころか、
人から何かを奪うばかりなのだ。