「優しい人」が好き。
女性が「好みのタイプ」を問われたときに答える、
最もポピュラーな回答の一つだ。
これを言われたとなれば、
よほど穿った考えの持ち主でない限りは、
少なくとも誰もが「表面的には」うなずくことになる。
批判する要素がないのだ。
角が立たないという意味で、
この上なく理想的な回答だ。
「穏やかで、包容力があって、暴力を振るわない」
それを「優しい」と定義付けるならば、
「優しい人が好き」
そう答える女性は、
多くの場合で「身体的優位」に立つ男性に対して、
「恐れ」を感じているのだろうか。
「人生におけるリスクヘッジ」
「結婚」の目的として、
その重要さは増してきている。
特に近年は「婚活」が身近なものとなり、
条件で選んで選ばれる。
盲目的なゴールインは少なくなったように思う。
その意味で「経済力」と並び、
「優しい」ということは、
リスクヘッジの面で大きなアドバンテージとなるのだろう。
だけれども、
果たして「優しい」という言葉が意味するものは、
男性の「身体的優位」に対するリスクヘッジだけなのだろうか。
甚だ疑問を感じる。
ある記事を読んで、非常に納得したのだけれども、
「平和」であればあるほど「身体的優位」の価値は下がる。
即ち「男性」の価値は下がるのだ。
逆に女性の「性的魅力」
それを獲得するために男は女性に媚びるのだから、
ある意味では男性に対する女性の「身体的優位」だ。
それは「平和」であればあるほどに価値を上げる。
即ち「女性」の価値は上がるのだ。
今は頭脳労働が一般的になったけれど、
過去の戦争を見れば一目瞭然だろう。
「経済」なんてものが破綻したときに、
生活の糧を獲得するために必要なものは「身体的優位」だ。
だから古来より「男尊女卑」なるものが横行してきた。
マンガ化が話題になった、
『戦争は女の顔をしていない』
そのタイトルがそのまま象徴している。
配慮もなく女性は男性と同じ役割を強いられる。
ある意味では「ジェンダーレス」
戦地では生理用品など支給されないものだから、
下半身血だらけの軍服を着て男と共に行軍する。
「軍服はいつもパリパリだった」って、
そんな生々しいシーンもあった。
それでも健気に従軍する女性たち、
前線に参加することも少なくなかったようだ。
時代が「身体的優位」を求めていたのだ。
だけれども、
今はそれが求められていない。
まだまだ不十分という声はあるだろうけれど、
女性の「社会進出」を国策として掲げ、
女性の「経済的自立」および「社会的配慮」は進んでいく。
「身体的」のみならず「経済的」にも、
男の優位はどんどん消えているのだ。
だから「優しい人が好き」
言葉は変わらなくても、
その意味は変わってきているんじゃないかな。
それってさ。
男性の「身体的優位」に対する、
女性の「潜在的な恐れ」からくるものではなく、
「愛玩動物」のそれに近いのかもしれない。
「癒される」ってやつ、
ドラマ『私の家政夫ナギサさん』
飛び飛びで見ていただけだから多くは語れないけれど、
このドラマの結論がまさにそういうことなんじゃないかな。
もちろんトラウマを抱えていて、
男性の「身体的優位」を恐れる女性もいるだろう。
だけれども、
「優しい人」=「癒しを与えてくれる人」
もはやそれが多数派のように感じる。
「優しい人が好き」
だから男性諸君は、
その意味をはき違えると痛い目を見ることになる。
女性の求める「優しい人」
それになるためには「積極的な奉仕」が必要なのだ。
私よりも年収が高くて、
私以上に家事をこなしてくれて、
落ち込んだ時は私を優しく包み込んでくれて、
いつも穏やかで私を支えてくれる人、
そんな「超人」がきっと、
現代の女性が求める「優しい人」なのだ。
男女間での需要と供給のバランスは崩れるばかり、
加えて「男」の価値は下がり、
「女性」の価値は上がっている。
社会の要請に従って、
男は「超人」になるしかないのかな。
結局、
私はいつまでも「ジェンダー」にこだわっている。
女性に対する敵意はだいぶ収まったけれど、
こだわりたいうちは、
まだまだこだわっていればいいのかな。