「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「自由」を与えられたうえで支配されたい欲求

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人間だれしも、

そういう欲求を持っているのだろう。


尾崎豊『卒業』

「この支配からの卒業」


とても印象的なフレーズだ。


人は多くの場合、

生まれながらにして「庇護」にある。


その「庇護」を当たり前のように享受して、

「愛という名のおやつ」を与えられて、

与えられることを疑うことなく、

すくすくと育つ。


テレビで聞いたある実験の話、


このような非人道的な実験をすること自体が恐ろしいのだが、

たくさんの孤児に対して、

「栄養は申し分なく与えるけれど一切のコミュニケーションを取らない」

そうするとどうなるのか。


すると2年以内に例外なく死んでしまったらしい。


人は「コミュニケーション」

「自分への興味関心」というべきだろうか。

さらに言えば「愛情」といえるかもしれない。


それ無くして生きてはいけない生き物なのだ。


だけれども、

自我が肥大化して「庇護」の枠に収まらなくなると、

「支配からの卒業」を目指すようになる。

「反抗期」というものがこれにあたるのかもしれない。


そしてまずは一定の「自由」を勝ち取って、

独立を目指す。


致命的に失敗するまでは、

その「自由」をどんどん広げていき、

「手に入れること」で「自分になった気になる」


それが「子供」が「大人」になる。

そういう過程なのだろう。

 

だけれども、

どこかで求めているのだ。

「心の拠り所」となる何かを、


私も散々お世話になっているけれども、

「両親」だったり、

人によっては「社会」や「信仰」

今流行りの「サロン」なんかもある。


いわゆる「メンター」と言うやつだろうか。


人生を進めるにあたっての指針というべきか。

そういうものを求めているのだ。


どんなに「自分」を確立したところで、

人は一定「支配される」ことを望んでいる。

 

それって自然なこと、


それを拒むということは、

ある意味では自意識が壊れてしまっているのだ。


だから「アナキン・スカイウォーカー」は、

ダークサイドに落ちて、

ダース・ベイダー」になってしまった。


一定の「自由」を獲得しながらも、

「支配されることを望む」

そんな自分を肯定してあげること、


それができてしまえば、

誰かに頼ることが苦ではなくなる。


そこから「できない自分」「弱い自分」

それを認めてあげる足掛かりになるんじゃないかな。


「自分であろう」とするあまり、

「自分を見失ってしまう」のだ。


「支配からの卒業」


それを目指す時期は必要かもしれないけれど、

それをできなくても何も問題はない。


「国家」や「社会」はもちろんのこと、

「倫理」や「道徳」なんてものも、

広義での「支配」にあたるかもしれない。


結局、

人は「自由」でありながら、

「支配されること」を望んでいるのだ。


生まれた時から「庇護」を受けていて、

それは死ぬまで変わらない。

 

まともな社会生活を送る限りは、

そこから抜け出すことはできないし、

人もそれを心のどこかで望んでいるのだ。

 

結局、我々の望む「自由」なんて、

自分に都合の良いものでしかない。