連休に入り少し精神的に落ち着いたのだろうか。
ふと思い浮かんだ言葉、
「文章モテ」とでも言えばいいだろうか。
男女問わず人を惹きつけるような文章、
そういうものを書きたいと思う。
「色気のある文章」
なにも「官能的な表現を磨く」というのではない。
「チラリズム」
はだけた胸元、
透けて見える下着、
スーツの下から隆起する筋肉、
普段は隠している、
あるいは隠そうとしている。
だけれども見えそうで見えない。
そして時折見えてしまった時の高揚感と背徳感、
それが想像力を掻き立てるのだ。
それは「異性」に感じるものだけれども、
「文章」もおそらく同じなのだ。
私はそこに「色気」があるように思う。
だから、
見えそうで見えない。
だけれども見方によっては透けて見える。
著者と同じものを共有している者だけが見える。
それならば、なお良い。
見えてしまった時の高揚感を煽る、
そんな極上のスパイスだ。
「意図」が見え隠れするような文章、
それが「色気のある文章」なのかな。
「書くこと」
800日近く毎日更新を続けて、
ストックや没になったもの、
プライベートな日記までつけている。
もはや私にとって、
それはライフワークだ。
だからこそ大事にしたいと思う。
その方向付けをしっかりしたものにしたい。
私にとっての「書くこと」
それは「人生をより濃く生きる」
そのための行為なのだ。
だからその行為にどのような色付けをするか。
それで私の人生は大きく変わる気がする。
「色気のある文章」を書きたい。
それが私の願望ならば、
私は「色気のある人間」
それに憧れているのかな。
つい最近、後輩くんに言われた言葉、
いくら望んでも相手ができないという私に対して、
「ますをさんは男にモテすぎるからいけないんですよ」って、
そう言われた。
あまりその自覚はなかったし、
その言葉の真意はわからなかったけれど、
場を盛り上げるための「道化」になりがちなのかな。
低音でゆっくりはっきりと、
「深みのある一言」をぶち込む。
おそらく私は文章ほど言葉の立つ人間ではない。
「文章」を磨くとともに、
「言葉」を「文章」に寄せていく。
おそらくそれが「理想」への道筋だ。
「色気のある文章」を書きたい。
ふと浮かんできたその言葉を大事にしたい。
しばらくはその方向で書き続けることにする。
そう思った日曜の朝、