「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

そもそも「時間」なんてものは存在しないのかもしれない

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「時間」というものは、

人間が勝手に作った尺度であって、

「事物」同士の関係性の変化に過ぎない。


人間も含めて物体は経年劣化する。

だから「劣化」は「時」の象徴なのだ。

 

「時は流れている」

そして、

「時は元には戻らない」

 

いくら「ぺこぱ」が「時を戻そう」としたところで、

時は戻らないのだ。


人は「時」とは不可逆なもの、

そう感じて生きている。

 

だけれども「劣化」の速度なんてものは、

個体によって大きな差があるのだ。

 

それと同時に「積み重なるもの」

それの多さも個体差がある。


そう考えると、

「年齢」なんてものは大したものではない。


特に日本人は「平均」と「ランキング」が大好きだから、

相手を知るための尺度として「年齢」を好んで使う。


だけれども、

「山P」と「ミルクボーイ」は同じ年で、

水原希子」と「ゆりあんれとりぃばぁ」も同じ年だ。


かたや未成年と合意の上でにゃんにゃんしているかと思えば、

かたや私のように一度も経験がなかったりもする。

(ミルクボーイは既婚だ)


経年による変化は人によって全く違うもの、

それを基準に相手を判断すること自体がおかしいのかな。


色々な統計情報を形にして、

リスクを定量化することで不安を煽る。


だから世論はそれに流されて、

「数字」に価値が生まれる。


「1円」でも足りなければ欲しいものが買えない。

そういう経済の世界ならばともかくさ。


年齢がいくつまでだとか、

年収がいくら以上だとか、

身長がいくつだとかさ。


体重やら胸の大きさ、足のサイズまで、

さすがにそれは公表しないけれども、


「人間の価値を測るための数字」


そんなものばかりが取りざたされて、

生身に触れる前から「条件」で選んで選ばれる。


確かに合理的なんだけどさ。


「数字で人を判断しない」

それって人として大事なことなんじゃないかな。


ピッチャーの投げる球だってそうだ。

同じ150kmだとしても、

バッターボックスに入ると、

投げる人によって全然違うらしい。

 

「尺度」なんてものは、

利便性を高めるために人間の生み出した知恵だ。


「時間」も例外ではない。


人は疑いを持つことなく、

「時」の持つ魔力に魅了されて生きているけれども、

それが本当に存在するのかは、

まだ人類には証明できていない。


存在するとしたって、

それがどのような形をしているのかは、

誰にもわからないのだ。


だから手放せばいい。


「われ思うゆえにわれあり」じゃないけれども、

「心」以外はすべて偽物なのかもしれないのだから、

 

手放せばいい。

 

目の前にいる人が、

いや、画面越しだったとしても、

今やりとりをして、

心を通わせようと試みている人が、

「数字の世界」とは関係のない、

自分と同じように弱くて脆い「心」を持った、

生身の人間だということ、

 

そのことだけは忘れずにいたい。

 

「時を戻そう」

 

遠い未来には可能になるのかわからないけれど、

今のところは一度傷ついた心を、

完全に元に戻すことはできないのだから、