「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「嫌い」に汚染されていく

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何かを「嫌い」になってしまうと、

それを連想させるものたちまで「嫌い」になっていく。


「嫌いなあいつ」と仲の良い人や、

「嫌いなあいつ」に似ている有名人、


ドミノ倒しのように、

汚染は広がっていくのだ。


だから意識的に、

ストッパーをかけてやらなければならない。


「あいつのことは嫌い」

それは仕方のないことなのかもしれない。

 

だけれども、

それを連想させるものたちは関係ない。


意識的にそうしてやらないと、

どんどんどんどん汚染は広がって、

どんどんどんどん自分まで「嫌い」になる。


「嫌い」


それを正当化することで、

「嫌い」に関わることを辞めるから、

代わりに「生きやすさ」を手にいれるのだ。


それには中毒性がある。


だから「生きやすさ」を求めて、

「嫌うこと」がクセになって、

「大切なはずのもの」にまで汚染は広がっていく。


「嫌い」


その裏には必ず「コンプレックス」があるのだ。

だからそれを「嫌い」な対象に投影させて、

嫌悪することで自分を正当化しようとする。


自分の「コンプレックス」を否定する自分、

否定することで自分はその「コンプレックス」を乗り越えた。

 

そんな気になることで、

そこに価値を見出そうとする。


結局「人」は醜くて浅ましい。

自分が救われることばかりを考えて生きている。


そしてその「人」の中には、

例外なく「自分」も含まれるのだ。


人は自分を「特別視」しがちだけれども、

自分だって醜くて浅ましい「人間」だ。


自分が「嫌いなあいつ」と同じように、

誰かに嫌われているのかもしれない。


いつだって自分を棚に上げてさ。

まるで周りのものたちを評価する、

そんな神のような立場を確保して生きているけれども、

どう贔屓目で見たところで、

「世界から見た自分」は特別なんかではないのだ。

 

そのことは忘れてはならない。


だから「嫌い」

その汚染をコントロールすること、


どれだけ「嫌い」になったとしても、

それを一般化してはならないし、

それの取り巻きは関係ないのだ。


「嫌い」なものは仕方がないけどさ。

「嫌い」なのはあくまでもあいつだけ、


そうやって割り切っていかないと、

取り返しのつかないことになる。


「人を呪わば穴二つ」


節操なく人を嫌っておいて、

所かまわず毒をまき散らしておいて、

自分だけが幸せになることなどできないのだ。