「誰もが羨むような妻」
知名度が高く名声を兼ね備えている。
そんな意味も含まれているのだろうか。
それと同時に「戦利品」のような侮蔑の意味が込められている。
そんな言葉だ。
「女性は自分の身を飾るための装飾品」
まだまだそんな風潮があるのだろうか。
「トロフィーハズバンド」とは言わない。
それはあくまでも女性は、
「獲得される側」ということを指しているのか。
それとも女性は、
「獲得されるように仕向けている」
実は狩りをしているのは女性のほうだから、
だから口には出さなくても、
「ハズバンド」が「トロフィー」なのは当たり前、
そういうことなのだろうか。
「ぽっちゃり好き」のイケメンだっているだろう。
「同性カップル」だっているし、
「年の差婚」は昔から一定存在している。
「結婚」の目的なんてものは人それぞれなのだ。
利害さえ一致していればいいんじゃないのかな。
そのうえで私は「結婚」に恋愛感情を求めている。
だけれどもその恋愛感情のベクトル、
「私」が「相手」にそれを向けることを求めているのであって、
「相手」から「私」に向けられることを求めているのではないのかもしれない。
「恋愛感情」と「信頼関係」は別物なのだ。
私は経験が足りないものだから、
「結婚」にそういうものを求めているけれども、
私の相手になるような世代の女性たちは、
既に一通りの経験は済ませている場合がほとんどだ。
だから「結婚」に求めるもの、
それのミスマッチは当たり前なのだろう。
私は「恋愛感情」というものを向けるけれども、
相手にそれは求めない。
そう考えるだけで大きく幅は広がるのかな。
私と「婚活女子」たちのミスマッチ、
きっと私は「トロフィーワイフ」を求めていなくても、
彼女たちは「トロフィーハズバンド」を求めているのだ。
もっと言えば、
「ハズバンド」ですらなく、
「既婚」というステータス、
「トロフィー」のほうがメインなのかもしれない。
私もそのステータスを求めているのだから、
人のことは言えないけれども、
その「ミスマッチ」を埋めるための努力は必要なのかな。
「割り切る」
人ではなく目的を見ること、
「婚活」にはそういうことが必要なのかもしれない。
一緒になったところで、
3組に1組は離婚をするらしい。
リスクを恐れて臆病になりすぎると、
チャンスは指を間から「するり」と抜け落ちていく。
結局は「結婚」だって、
「恋愛」だって、
自分のためにしたいのだ。
自分の人生を先に進めるためにしたいのだ。
「婚活」の目的は結婚をすること、
少なくともお相手はそれを求めている。
そのことを忘れてはいけないのかな。