「自分さえよければいい」
人生なんて概ねそんなものだ。
そうならなければ生きてはいけない場面ばかりに遭遇する。
だけれども、
そこをベースにしていても、
周りとの調和を図ることを目指すべきだ。
そういう姿勢がなければ、
「世界」とうまくやっていくことはできない。
「独善的」
「損すること」を極端に嫌って、
立場を守ることばかりに躍起になる。
賢い人ほどそういう態度に敏感だから、
そういう人の周りからは、
どんどん人がいなくなる。
そして周りに残るのは、
同じように人を食い物にすることばかりを考えている、
そんなモンスターばかり、
自分が「損をしない」ためにって、
信用失ってまで躍起になっているのに、
長い目で見れば「損ばかりしている」のだ。
「人生」
その単位で物事を見れば、
それはより顕著に表れる。
自分自身の行動の積み重ねによって、
「人生」はできあがる。
利害関係ばかりに囚われて生きていれば、
利害関係ばかりが幅を利かせた人生になる。
目の前の行動の積み重ね、
誤魔化しは効かないのだ。
きっと全て臨終に現れてくる。
注意深く振り返ってみると、
今いる自分の居場所、
誰かの座るはずだった席だったりもする。
そういうことって、
1つや2つは誰しもが思い当たるだろう。
競争を勝ち越えて、
気がつかないうちに誰かの「居場所」を奪って、
そして誰かから「居場所」を奪われて、
我々はそうやって生きているのだ。
だから、
「自分さえよければいい」
確かに広義ではそうならざるを得ないんだけどさ。
自分がどの位置に立っているのか。
その影響力は如何ほどのものなのか。
そして道徳的に間違えてはいないのか。
注意深く目を向けなければならない。
そこのチューニングを怠らなければ、
自然と周りとの調和は取れてくるはず、
「独善的」
それを忘れて権力ばかりを振りかざしていたら、
もはや「人」ではなくなってしまうのだ。
本能の赴くままに動く「ヒトの形をした獣」
そうなってしまったら、
もはや自浄作用は働かない。
痛い目を見るしかないのだ。
そうなってしまう前に、
自分で自分のことを何とかしてやらないといけない。
自分は「自分の中に巣食う獣」に気がついているのだ。
それを飼い慣らすのも、
暴走させるのも、
己の采配ひとつなのだ。
いつまで経っても課題は尽きない。
それは生きる上でありがたいことなのかもしれないな。