課題にぶつかると、
仮説を立てて検証および実践する。
フィードバックに従って次の手を考察する。
そうやって人類は前に進んできたのだ。
人生は「壮大な実験」
うまくいったことは続けようとするし、
うまくいかなかったことは改める。
人は「経験」を信仰する生き物だから、
その「経験」の積み重ねに従って「人生」の舵を切る。
ポジティブに生きるためには、
「成功体験」の積み重ねが必要、
たまたま「一手目」がうまくいくこともあるし、
うまくいくまでに「百手」かかることもある。
ある面では「成功体験」を積み重ねたけれど、
ある面では一つの「成功体験」もない。
そういうこともある。
「幸せ」って一口にいうけれど、
今いる「居場所」即ち「結果」だけが、
全てを決めるのではないのかもしれないな。
「実験に夢中になること」
それ自体が幸せなのかもしれない。
あるいは「望まない結果」
それに一憂したとしても、
それがさらなる「望む結果」につながるかもしれない。
「望む結果」を出すことで、
つまらない人間になってしまうことだってある。
だから実験し続けるしかないのかな。
結果に囚われずに、
生き続けるしかないのかな。
自分が自分の人生のどこに「幸せ」を感じるのか。
「喜び」を感じるのか。
「生きがい」を感じるのか。
「結果」ばかりに囚われがちだけれども、
それを求める過程でわかることは少なくない。
だから一つ一つを糧にして、
未来は必ず良くなると信じて、
生き続けるしかないのかな。
「自分の命が何を求めているのか」
掲げるべき実験のテーマはそんなところだろうか。
「結果」ばかりに幸せを求めていると、
気が付かずに見失っているものがある。
「こうなりたい」
「ああなりたい」
それも大事なことだけれども、
それに向かう自分が何をどう感じているのか。
「望むものを手に入れてはみたけれど、
思ったよりも感動はなった」
歳を取れば取るほどに、
そういうことは増えてくる。
そこに「感動」がなかったら、
それは「大して求めていなかった」って、
そういうことなんじゃないのかな。
よくよく考えなければならない。
「人生という壮大な実験のテーマ」
それを何にするのかってことを、
時間には限りがあるのだ。
「命の使い道」
私の人生を私にとって有意義なものにしたい。
切にそう思う。
そして人類にとって有意義になれば、
尚良いと思う。