「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「うつ病の元凶」とも言われる「デフォルトモードネットワーク」の過剰活動

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何度も書いている持論だけれども、

「人は経験を信仰する生き物」だから、

生きていれば誰しも少なからず、

固定観念」というものを形作る。


その「積み重ね」

それが脳内にネットワークを形成する。


「あの場面ではこう振舞った私」

だから私はこういう人間なのだ。


「みんなができることをうまくできなかった私」

だから私はあれが苦手なのだ。

 

そして「みんなができなかったことをできた私」

私はそれが得意なんだ。


そうやって、

人は「経験の積み重ね」によって、

アイデンティティ」を確立して「自分」になる。


それが「デフォルトモードネットワークの働き」だ。


だけれども、

あまりにもそれが発達しすぎると、

人は「デフォルトモードネットワーク」に縛られてしまう。

雁字搦めになり身動きが取れなくなってしまうのだ。

 

先日書いた記事、

 

tureture30.hatenadiary.jp


「役者という仕事」と「自死」の関係についても、

おそらくこの「デフォルトモードネットワーク」が、

大きく作用しているのだろう。


「こうでなければならない」


「信念」は諸刃の剣なのだ。


人生を「彩る」こともあるけれど、

人生を「傷つける」こともある。


そして人は時間をかければかけるほどに、

積み上げてきた「持論」に執着するようになる。


そうやって、

「デフォルトモードネットワーク」の働きはどんどん強まり、

あらゆることを許容できなくなっていく。


人からの指摘に対して、

それが正しいものであったとしても、

素直に受け入れられずにイキり立ったり、

自分とは異なる「優れた提案」をもみ消したり、


時間をかけてきたものを否定されて、

「居場所」を奪われることに過剰に敏感になる。


「こうしなきゃならない」

「こうあらねばならない」

「こうあるべきなんだ」ってさ。


何かを貫く「美しさ」ってものはあるけれども、

そこには例外なく「自然体での美しさ」

そういうものがあるんじゃないのかな。


「持論」に固執するあまり、

それが「不自然」になってしまったら、

それは「デフォルトモードネットワーク」が過剰に働いているということ、


自分では中々気が付かないけれど、

自分の意思のようで意志ではないものに、

憑りつかれてしまっているのだ。


「デフォルトモードネットワーク」の、

「デフォルトモードネットワーク」による、

「デフォルトモードネットワーク」のための人生、


いったい誰の人生を生きているのだか、

わからなくなってしまう。


そんなに肩ひじ張ってばかりいないでさ。


「なるようになる」ってさ。

そして「なるようになってもなんとかできる」ってさ。


そういう根源的な「人間力」というか、

そういうものを鍛えていかないといけないんじゃないのかな。


「何者かになりたい」って、

ブログでよく目にする言葉だけれども、

私はこの言葉にずっと違和感を感じていた。


「肩書」を手にするよりも、

「目的」を手に入れることのほうが何100倍も重要だ。


「どう生きたい」

そこにフォーカスするべきなんじゃないのかな。


情報が溢れかえっているものだからさ。


四六時中、誰かと比べて、

自分の立ち位置を確認して、

それに一喜一憂することが生きがいになっている。


「デフォルトモードネットワーク」


それを強固に構築してしまった人類、


今度はそれを手放してあげることが、

かえって「自分になる」ということなんじゃないのかな。


「いい意味で」感動したものだけを、

大事にしまってあげればいいのだ。

 

何でもかんでも悲観してさ。

期待して裏切られるのが怖いからってさ。

悲観することに「生きがい」なんか感じちゃってさ。

 

そこに「生きる意味」を求めるから、

おかしなことになる。

 

幸せになる覚悟ってものが必要なんじゃないかな。

他の何を除けてでも、

幸せになってやるんだって覚悟がさ。


人間なんてこの世界で最も、

「都合のいい生き物」なのだから、