「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

現代社会の病理「自己の希薄化」について

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面白い記事を見つけた。

現代人は匿名でオンライン上に「心の闇」をさらけ出しすぎている、

その病理は「自己の希薄化」にある、

というもの、


私はよく「パーソナリティの肥大化した時代」

そういう表現を使うけれども、

おそらく意味するところは同じだと思う。


「自分」であろうとするあまり、

「何者かになりたい」と思うあまり、

「こうでなければならない」

そういう感情に支配される。


与えられた「居場所」にすがりつき、

それを守ることに躍起になる。


一度ラベルが付いてしまったら、

あとは敷かれたレールの上を歩くだけ、


余程、意識的に脱線しようとしない限りは、

その「ラベル」に引き寄せられた人生になる。


「自分が何者なのかわからない」


朝井リョウさんの小説『何者』


その映画版を見て感じたけれど、

誰もが「主体性の無い批評家」

 

周りからの評価に怯えるとともに、

何かを評価することで、

自分の価値を見出そうとする。


その評価対象が、

世間から見て価値のあるものであるほどに、

自尊心は満たされる。

 

「評価すること」


「否定」も「肯定」も、

その出所に大差はない。


人は「評価するため」に、

「評価すること」で「自尊心を満たすため」に、

匿名の投稿を続けるのだ。


だけれども、

気をつけなければならない。


どんなに他の何かを評価したところで、

自分の価値は何も変わらないのだ。


「いいね」の数が増えたところで、

フォロワーが増えたところで、

「自分の価値」は変わらないのだ。


「自分の価値」


もしも自分の投稿を見て、

「救われた」と思う人が一人でもいるのであれば、

それはもしかしたら、

「自分の価値」につながるのかもしれない。


リアルでもそうだけれども、

「人」が「数字」に見えてきたら人間終わりだ。


ノルマに追われて契約を取るために、

人を騙してみたり、

経験人数を稼ぐために、

偽りの愛の言葉を囁いてみたり、


「数字」には魔力があるものだから、

人は先に進んだ気になるために、

「数字を積み上げること」に躍起になる。


「自分の軸」など考える余裕もなく、

数字に魅せられて生きているのだ。


だけれども、

「数字」に自分の価値を委ねたところでさ。


自分のことなど全く知らない、

そんなカオナシたちから称賛されているだけだ。


自分の価値ってものはさ。

自分で作った「物差し」で測るものなんじゃないのかな。


その「物差し」も作らないでさ。

人の作った「物差し」ばかりで自分の価値を測ろうとしたってさ。

 

一時的には満たされたとしても、

時を経るごとに虚しくなる一方だ。


華やかな芸能人たちが自ら死を選んだ時に、

「もったいない」って、

そんな言葉をかけられるけれども、

いったい何が「もったいない」のだろうか。


ホームレスのおっさんが自ら死を選んでも、

それは「もったいなくない」のだろうか。


それぞれの人生に、

それぞれの理想があって、

こだわって生きている人ほど、

はっきりとした「物差し」がある。


自死」を肯定するわけではないけれど、

私には人の「自死」を悼むことはできても、

否定することはできない。


「自己の希薄化」


人の評価ばかりを気にして、

人の人生を生きることにばかり躍起になるから、

そうなるんじゃないのかな。


どんなに華やかで、

どんなに人から羨まれるような人生を生きていても、

当の本人が「自分の人生を生きていない」


そう感じていたならば、

それは命を絶つに足る理由になってしまう。


とは書いたものの、

人は結局は周りの評価を気にして生きているのだ。

 

社会で生きる限りは、

それを止めることはできない。


だから偏ってはいけない。


狭い世界で生きていたら、

その世界で失敗してしまったら、

それだけで生きる理由を失ってしまう。


だから、

いろんな世界とつながることが大事、


もはや「社会」と「人間関係」は、

切っても切れないもの、

 

だから、せめてもの対策として、

一つの価値観に縛られないことが大事なんじゃないのかな。


色々な価値観に触れる中で、

自分の「軸」というものは育ってくる。


そうやって「自分の物差し」を作るのだ。


わかりやすい「物差し」にばかり心を奪われていたら、

いつまで経っても「自分の物差し」を作ることはできない。

 

注目を浴びる人生ほど、

その「自分の物差し」を作ることは難しい。

 

そして今も先も監視社会だ。

「自分らしさ」は集団に飲み込まれていく。

「世界」はどのように折り合いをつけていくのだろうか。

 

そこに折り合いをつけるために、

「個」はオンライン上に匿名で、

「心の闇」をさらけ出し続けるのだ。