まずは予防線を張っておく。
始めに断っておくが、
私はどちらかと言えばフェミニストだ。
それはこのブログを長く読んでいただいている読者様ならばわかるだろう。
以前にこういう記事を書いた。
そのうえで今回炎上しているらしい、
「#ラブタイツ」問題に触れてみる。
あるメーカーが自社商品をPRするために、
セクシー?(実物を見るとなんてことはない)なタイツを履いた、
女性のイラストと共に「#ラブタイツ」としてTwitterに投稿したらしい。
それが「性的消費だ」
「タイツを履くだけでエロい目で見られる」
「女性向け商品なのに男に媚びた宣伝が気持ち悪い」
ということで、
界隈のフェミニストたちをにぎわせているようだ。
この「性的消費」という言葉、
ここ最近よく目にするようになったように思う。
どうやら一種の「バズワード」として、
フェミニストたちの合言葉になっているらしい。
自ら(フェミニストが女性だけとは限らないけれど)の「女性性」を、
不当に搾取されていることに対する憤り、
その「旗印」みたいなもの、
言わば、
フェミニストたちの「オルレアンの乙女」
そんなところだろうか。
先の記事に詳しく述べているけれど、
「ジェンダー」に対する私の結論は出ている。
いたってシンプルだ。
「チーム対抗戦に持ち込むからおかしなことになる」
というもの、
「男チーム」と「女チーム」
大別すると人類には2つの大きな派閥がある。
時に、この派閥は国境や人種を超えて、
大きな力を持つことになる。
こと、「女チーム」に関しては、
女性の本能的なものからか、
「男チーム」と比較して結束力は強いみたいだ。
だけれども、
冷静に考えてみて欲しい。
自分が何かに属していないと不安だからってさ。
「チーム対抗戦」に持ち込む必要があるのかな。
詰まるところそれは、
「与党」と「野党」だったり、
「アメリカ」と「中国」だったり、
それと同種の「権力争い」に与することになる。
そういうものを客観的に見て、
「そんなことはどうでもいいから全体に利する道を探れ」ってさ。
普段は冷めた目で見ているはずなのに、
いざ、自分が当事者になってみると、
俗にいう「権力争い」
それと同じことをしているのだ。
人の攻撃性の源は、
「コンプレックス」にある。
きっと「性的消費」って言葉を好む人たちは、
「性的消費」に付随するような傷を抱えているのだろう。
私は「女性の不誠実さ」に傷つけられたからさ。
「女は信じられない」だなんて、
ひたすらそんな記事を書いていた時期もある。
だけれども、
書けば書くほどに虚しくなった。
「男としての自尊心」
それがズタボロだからってさ。
「女性を敵視すること」で、
「コンプレックス」を埋めようとしていたのだ。
「女は価値の低いもの」
だからそれから受け入れられなくても、
「自分の価値は下がらない」ってさ。
病理はそこにある。
「男は価値の低いもの」
だからそれから搾取されないようにして、
「自分の価値を下げてはならない」ってさ。
自分の所属する「チームの価値」
そればかりに執着して、
「個の価値」を見失っているんじゃないのかな。
「虚しさ」に気がついているのに、
「気が付かないふり」をしているだけなんでしょ。
傷口がまだうずくからって、
「そこに触れられないように」ってさ。
必死に威嚇しているだけなんでしょ。
「フェミニストの一派」が目立つようになったから、
それに「対抗する勢力」なんてものもあるようだ。
激しい攻防を繰り広げているようだけれども、
それだって傍から見たら、
前述の「権力争い」と同じ構図だ。
「違和感」や「不快感」の正体は「ストレッサー」
自分の利に反していて、かつ見過ごせないもの、
言い換えれば、
自らの「居場所」を奪いかねないもの、
そんなところだろうか。
「フェミニストたちをからかいたい」
そうやって突っかかる人たちも、
わざわざリスクを負って攻撃するくらいだからさ。
おそらくその源泉には「脅威」があるのだ。
「性的消費を許さない!」
いくら「権利拡大」のために躍起になったところで、
「女チーム」に属している人でも、
当事者以外の目は冷ややかなもの、
それどころか行き過ぎると反感につながる。
結局SNSの投稿なんて無責任なものだからさ。
攻撃を向けられた対象のことなんて考えていないんだよ。
面白おかしく攻撃に乗っかる人たちだってさ。
リアルに立ち返れば、
いつもと何も変わらない日常に染まる。
だけれども、
目の前の一人に対してならば、
「責任」が生じるものだから、
一方的に主張を押し付けたりはしない。
そして相手から、
その後を「見られる」ことになるわけだから、
言動や行動に変化が生じるだろう。
本気で主張したい「イデオロギー」があるのならば、
そこには「責任」が必要なんじゃないのかな。
それがあって初めて、
心からの「共感」というものが生まれる。
「ジェンダー」に関する問題に限らないけれども、
現代人は手軽に自説を拡散できる環境に甘んじているんじゃないのかな。
自説が少しバズったからって、
インフルエンサー気取って、
それを「成功体験」として、
大事に大事に心の奥底にしまいこむ。
そうやって、
今にも消えてしまいそうな、
そんな脆い「自尊心」を維持しているのだ。
かく言う私も、
無責任にブログで自説を垂れ流しているだけなのだけれども、
もちろん企業側も配慮は必要だった。
そういうものを嫌悪する層が購買層なのだから、
みんながみんなに対して、
もう少し思いやりを持てたらいいのにね。
画面の先にいる人だって、
自分と同じように脆く弱い心を持った、
「人間」なのだから、