随分前のことだけれども、
学生時代にバイト先の女の子から、
色々と相談をされていて食事に行った時の話、
確か「家庭の悩み」だったかと思うのだけれども、
話の結びに言った私の一言、
「幸せになってもらいたいと思っているよ」
その言葉が地雷だった。
「別に私は今でも幸せですよ」
そう返されたときには手遅れだ。
相手は明らかに不機嫌なまま別れたことを覚えている。
「幸せじゃない」
どんなに悩み苦しんでいたところで、
女性は周りからそう思われたくない生き物なのだ。
「インスタ映え」なんてものはその象徴だ。
「港区在住」だとか「外資系大手勤務」だとか、
そんな経歴と共にアップされるキラキラした写真たち、
まるで自分は幸せな星のもとに生まれてきて、
悩みなどないかのように振舞っている。
少なくとも外から見える範囲、
オンライン上では、
「セルフブランディング」
自分で自分の価値を高めようとする。
それにより高まる自己肯定感、
そういうものは確かにあって、
それは割と効果的だ。
だから、
そこで終わっていればいいけどさ。
背伸びしすぎた生活を維持するために、
あの手この手で「きらびやかな自分」を仕立て上げる。
そうなってしまったら、
その効力はオンライン上限定だ。
そこに命懸けるようになって、
どの自分がリアルなのかわからなくなる。
「羨ましがられる自分」
そこに軸足を置くあまり、
その価値観に引っ張られて、
理想と現実のギャップを突きつけられないように、
「偽りの自分」を演じることが生きがいになる。
そしてお金が尽きたところで、
「ジ・エンド」だ。
どう考えてもバッドエンドにしかならない。
人はどうして、
周りの評価ばかりを気にするんだろうね。
私の「婚活」にしたってそうだ。
私は「若くてきれいなトロフィーワイフ」を、
求めているだけなのかもしれない。
それまで変にチャンスばかりが、
目の前に転がってきたものだからさ。
「自分はまだ男としていける」って、
期待ばかりが大きくなって、
「違う世界線の自分」ばかりを追い続けている。
結局チャンスは一つもモノにできなかったのだ。
何とも惨めなもの、
それどころか紳士気取った不誠実なクソ男、
「幸せじゃない」と思われたくない。
それは女性だけではなく男も同じなのだな。
つくづく自分が嫌になる。
気持ちが悪い。
簡単なことだ。
私は自分のことを幸せだと思ってはいないのだ。
手に入らないものばかりに囚われている。
自分で自分を認めてあげられていない。
だから私は不幸なのだ。