「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

いくら証明を試みたところで「恋愛」に正解はない

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使い古されたテーマだ。


ラブストーリーは突然に

恋は雨上がりのように

『理系が恋に落ちたので証明してみた。』


「恋愛の数奇性」

それをテーマにしたものは数知れない。


ロマンスとはかけ離れているけれど、

斬新な切り口で「愛」を取り扱う作品もある。


藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』


「恋愛工学」という言葉の生みの親、

藤沢数希氏の代表作だ。


冒頭「東京の街は僕らのソープランドだ」

そんな表現から始まる「恋愛攻略もの」

そんなジャンルだろうか。


非モテ高スペック男が、

交際相手の裏切りを機に一念発起して、

恋愛テクニックを学び「やりまくる」

そこに虚しさを感じてボロボロになったところに・・・

というストーリーだ。


「愛など幻想にすぎない」と証明しようとしたところで、

結局その正体にはたどり着けない。

そんなパラドックス


その不確実なところに、

作家が「恋愛」をテーマとしたがる理由があるのだろう。


「愛」だの「恋」だのをテーマにしていれば、

「起承転結」を作りやすいのだ。


かく言う私も、

そうやってブログを書いている。


一切姿の見えない私が、

こうやって「童貞」気取って、

ブログを2年半も書いているけれど、

本当は作家志望の「既婚者」かもしれない。


もしくは「婚活」など一切していなくて、

ただの引きこもり50代独身の「喪男」かもしれない。


はたまた、

やけに女性的な文章を書くので、

「心は男」でも「体は女性」のレズビアンかもしれない。

それならばパートナーがいたとしても、

「童貞」であることに偽りはないことになる。


なんともまあ面白いものだ。


そういうミステリアスなところに、

「おかしみ」があるのだろう。


時折湧きたっては、

いつだってうまくいかない私の恋愛、


その様はもはや創作じみている。


いつもいいところまで行って、

こんなにうまくいかないことがあるのだろうか。


多少のタイムラグや脚色はあるにしても、

私は「私の状況」を客観的にありのままに描いているつもりだ。


「落ちがない」


私の物語はいつまで経っても結論に至らない。

まるで私がそれを避けているようだ。


ジャンプの人気漫画のように、

編集者に引き伸ばされているわけではない。


「恋愛」に「正解」のないものだけれども、

それにしたって「結論」は出る。


いつだって私はそれを先延ばしにしているのだ。

そのくせ「報われない恋」ばかりをしていると嘆く。


「覚悟」も見せないでさ。

相手に結論を委ねているのだ。


そんなものは「優しさ」でも何でもない。

私の「優しさ」はただの保身、


「不正解」のレッテルを貼られることを恐れて、

相手を「値踏み」しては一進一退を繰り返す。


そんなことをしたって、

何一つ先のことなんてわからないのにね。


「性欲」に突き動かされない「理性」


そういうものがややこしくしているのかな。

いくらか「結論」を出して経験を積んでいたら、

ここまでこじらせることはなかったのだろう。


さて、表題の通り、

いくら私が私の恋愛をこうして俯瞰したところで、

それは一種の「エンターテインメント」にすぎないのだ。


「道化」に成り下がっている気がする。


私は本当に、

誰かと一緒に人生を進んでいきたいのだろうか。


それは誰にも証明できない難問だ。