まだ読了していないが、
表題はおそらく作品テーマの核心に迫る部分だ。
氏の作品を読むのは、
先日記事にした『ハーモニー』に続き2作目、
デビューわずか2年での病死、
闘病しながらの執筆、
文章表現が巧みで「立体的」にすら感じる。
「死」という永遠不滅のテーマに、
あの手この手で肉薄する様は、
二次元でありながら三次元なのだ。
読了前の考察は私の望むところではないが、
とても考えさせられた表現なので、
書かずにはいられなかった。
作中で女性は語る。
「言葉」は「内臓」と同じく「器官」なのだ、と、
私の考察する「機能」と「器官」の違い。
「機能」は有する「器官」を用いて起こす現象、
「器官」は「機能」を起こすための媒体、
そう考えられるだろう。
物理的に存在するか否か。
それは大きな違いだ。
「言葉」を「器官」とするならば、
「言葉」は物理的に存在することになる。
「言霊」という言葉がある。
先日『世にも奇妙な物語』で、
大竹しのぶさんが演じていた話、
そのテーマがここにつながってくる。
「言葉には力があって、それをぶつけた相手に影響を及ぼす」
傷つけたり、
喜ばせたり、
怖がらせたり、
安心させたり、
誰の言葉であっても、
少なからずそんな力を持っている。
「私は生まれつきその力が強いの」と言いながら、
その力を巧みに操り、
エゴイスティックに欲望を満たし続けるサイコパス、
大竹しのぶさんが演じたのは、
そういう役柄だった。
おそらくこの『虐殺器官』も、
それに近しい展開が予想される。
「言葉」
声帯を震わせた振動により発するもの、
そして手を動かすことで出力される記号、
「言葉」と一口に言っても形は一定ではない。
つまり「言葉」の原型は、
「脳」で生成されるのだ。
「地獄はここにある」
そう言ってこめかみの辺りを指差して、
自死する登場人物、
いや待てよ。
そうすると「言葉」は「器官」ではなくなってしまう。
「言葉は器官」
改めて、
その意図を読み解くことは難しいと感じる。
逆説的に考えれば、
「言葉」は「脳」で生み出されるものではない。
そういうことか。
そう考えると、
その出所はどこなのか。
「心」と言わざるを得ないだろう。
「心」から生み出された、
いや「心そのもの」と表現するべきだろうか。
「心の一部」を切り取って作られた「言葉の原型」を、
「脳」が装飾して「外部器官」により出力する。
それを「言葉」と表現するならば、
「器官」という書き方は「言霊」の比喩表現だと言える。
「言葉」には「実体」に等しいほどの影響力がある。
そういうことだろうか。
「言葉」とは、
人間の持つ「心」という「器官」の一部、
それを切り取って外部に出力したもの、
言わば「心そのもの」
ただ読み返してみると、
作中では「器官」という言葉に侮蔑が含まれる。
どうにも「無機質」な印象を受けるのだ。
「心」とリンクさせるならば、
そういう表現にはならないだろう。
そこは気になるところ、
しかし、
今のところの見解はそういうところにしておこう。
あとは未来の自分に任せて読了後に回収する。
この記事はいわば備忘録だ。