面白い記事を見た。
本には読むべきタイミングがあって、
その時に読むから「良書」となる。
惹かれないものを無理に読んだところで、
後から振り返ると何も頭に残っていない。
世間的に「必読書」と言われているもの、
それを「義務感」で読んだところで、
「時間の浪費」で終わることが多い。
結局は「興味・関心」に沿った本を読むこと、
それが回りまわってリベラルな知識となる。
これからの時代は、
型通りの知識だけでは生き抜けない。
知識と知識を結び付けて、
「想像力」「応用力」を働かせるのだ。
そういった内容だった。
私の「興味・関心」はどこにあるのか。
そう考えたときに、
真っ先に思い浮かぶのは「生死」のこと、
次に思い浮かぶのは「ジェンダー」のこと、
私は「人間存在の在り方」に興味・関心があるのだろうか。
そっちの方から攻めた先に辿り着くもの、
あまりビジネスに役には立たなそうだ。
だけれどもそう感じるからこそ、
逆に商機はあるのかもしれない。
「生き方」の多様性が求められるようになり、
世の中には私のような「相手のいない中年」は増えているのだろう。
増してや、
今の若者は相手を求めることもしなくなっているようだ。
将来的には「お一人様」
そういう流れはさらに加速する。
「他人が記号に変わる」
私がよく書く「パーソナリティの肥大化した時代」だ。
「つながり」は欲しいけれども、
めんどくさいものであれば必要ない。
「快適」が手軽に手に入るものだから、
「快適」ではないものに対する嫌悪は増す。
「努力」の向かう先は、
「興味・関心」のあるものにだけ、
「多様性」という言葉が持て囃されていても、
「みんなと同じじゃない」と不安になる。
そのバランスに四苦八苦、
そういう意味では、
なんとも「生きづらい時代」だ。
好きに生きればいいんだけどさ。
何をするにしたって「人間力」は求められる。
「人間力」
ある意味では最も汎用性の高い能力だ。
「人としてどうなの?」って、
自分にそう問いかけたときに恥じない自分なのか。
精神衛生上も重要なテーゼ、
こればっかりは、
いくら本を読んだところで身につかない。
地道に「自分を嫌いにならない選択」をし続けるしかないのだ。
そして、その選択の先にあるものに責任を取る。
その繰り返しの中で、
「人間力」は磨かれるんじゃないのかな。
「情報の海」の中に産み落とされた若者たち、
色んな事をよく知っている。
そして「なるほど」が口癖だ。
知らないことを表面だけ取り入れて、
「知った気になること」が当たり前な時代、
周りに聞かなくたって、
ネットで検索すれば大抵は何とかなる。
だけれども、
物事の本質を知るためには、
時間をかけてそれと向き合うことが必要だ。
だから「興味・関心」
そういうものが人生を形作る。
みんなと同じように、
同じことを同じ時間だけやって、
はみ出さないように気をつけていればいい。
そういう時代は終わったのだ。
「興味・関心」
自己分析が大事になる。
早いうちから自分の方向性を決める。
そういう生き方が幸せなのかもしれない。
社会だってそれを推奨しているのだから、
だけれどもレールがない分、
なんとも生きづらい世の中なのかもしれない。
自分の人生には、
自分以外は誰も責任を取ってはくれないのだ。