なるべく考えないようにしていた。
直近の「痛み」や「苦しみ」について、
それどころか、
誤魔化そうとしていた。
「傷ついてなどいないんだ」って、
だけれども、
その「痛み」は、
その「苦しみ」は、
確かに私の中に蓄積されているのだ。
私の前から去っていった、
10個年下の「晴れ女」さん、
去年の「雨女」さんとは対照的に、
会う日はいつも「晴れ」だった。
日の光の暖かさに包まれて、
時折吹く秋風を心地よく感じながら、
並んで散歩をする時間が楽しくて、
その時だけは話題が尽きなかった。
だけれども、
向かい合って食事をしている時、
その時ばかりはどうもギクシャクしていた。
おそらく、
お互いそのことには気づいていたのだろう。
4度目の約束、
「私も楽しみにしています」
その言葉を最後に返事は途切れた。
「このまま終わりたくない」
そんな思いから再度確認の連絡をする。
「このまま会い続けるのは少し違うと思う」
そんな返事が来た。
そうして終わった。
私の中にも「迷い」はあった。
「私は相手の若さに惹かれているだけなんじゃないか」って、
そんなことばかりを考えていた。
だからそれを盾にして、
このダメージを無かったことにしようとしたけれど、
そんなことはできないのだ。
地上最強の矛で突かれたわけではないけれど、
おそらくこの「痛み」は、
地上最強の盾でも防ぐことはできない。
「矛盾」
「私も楽しみにしています」
彼女の言葉の裏にある感情に薄々気が付きながらも、
私はそれを考えないようにしていたのだ。
人は都合のいい生き物だから、
都合のいい方向にばかり進もうとする。
その先に「望むもの」があればいいのだけれども、
私の場合はいつも奇跡的に、
その逆を選ぶのだ。
チャンスを前にしては尻込み、
ポジティブに進めば手に入ったかもしれない幸せ、
ここ4年間で何度もそれを逃してきた。
二分の一のように見えて、
二分の一ではないのだろう。
私の頭の中の「こじらせ回路」が、
無駄に勤勉に働いて、
いつだって「不正解」を選び出す。
「不正解」
少なくとも今は「不正解」
まだ「痛み」を感じているから、
思い返してみると、
私はいつから「痛み」と向き合っているのだろう。
動いた分だけ傷は増える。
大小様々あるけれど、
私はどれだけの傷を負えば気が済むのだろうか。
「もう立ち上がれない」
そう思っても立ち上がる。
傷だらけになりながらも、
新たな傷を負うために立ち上がるのだ。
どれだけ業が深いのだろうか。
私はどれだけ業が深いのだろうか。
「痛み」や「苦しみ」と、
どれだけ向き合えば報われるのだろうか。
だけれども、
向き合うしかないのだ。
消化しない限りは、
どこまでも追いかけてくる。
少しづつ、少しづつ、
受け入れるしかないのだ。
2度目に会ったときは、
1度目にはしていないリップをつけていた。
3度目に会ったときは、
2度目と同じ服装だった。
「私も楽しみにしています」
言葉とは裏腹に、
既に気持ちは離れていたのだ。
いつだって手遅れ、
私の「恋愛」はいつもそうだ。