人はある個人に向けて「憎悪」を向けだすと、
その周りのものまで「憎む」ようになる。
「あいつ嫌い」
「あいつと仲いいやつ嫌い」
「あいつの所属するグループ嫌い」
いわゆる「一般化」というやつ、
とあるクソ女から傷つけられたところで、
「女性全般」を憎む必要はないのだ。
逆もまた然り、
だけれども、
いったん傷を負ってしまうと、
その対象に対して過剰な防衛機能が働く。
そうやって、
どんどん「憎しみ」は広がっていく。
不器用な人ほど、
真面目な人ほど、
物事を「白」か「黒」で捉えがちだ。
Mr.children『GIFT』
白と黒のその間に無限の色が広がっている。
君に似合う色探して優しい名前を付けたなら、
ほら一番似合う色、今君に贈るよ。
世の中にはその中間色であるグレーをはじめ、
白と黒以外にもいろいろな色がある。
子供の頃はそれを当たり前のように知っていて、
パレットに色々な絵の具を塗りたくっては、
それを混ぜてみたりして、
「どんな色になるのかな」なんて、
ワクワクしながら生きていた。
世界の無限の広がりを、
あの空の青さを、
天井なんて作ることなく、
一身に感じていたはず、
だけれども、
年を取るにつれて、
「決まった色」しか使わなくなる。
むやみに他の色に手を出すと、
「傷つく」ことになるかもしれないと、
そのことを知ってしまったから、
「涙の数だけ強くなれる」のだけれども、
「涙の数だけ選択肢は狭まる」
人は「涙を流すこと」で、
何があっても残された道を進んでいく、
そういう覚悟を決めるんじゃないかな。
「分かれ道」は「別れ道」
選ばなかった選択肢とのお別れだ。
いつまでも未練たらしく、
「別れた道」ばかりに思いを馳せたところで、
その道はもう「通行止め」なのだ。
引き返したところで、
そこから見える道は、
時とともに輝きを失っているかもしれない。
前と同じように、
同じことを、
同じ時に、
選択しなおすことはもうできないのだ。
そうやって徐々に選択肢は少なくなり、
最後には「一つの色」を選ぶことになる。
そうやって生きていくのだ。
だけれども、
気をつけなければならない。
一本道になってしまったかのように見える、
そんな道の端っこを注意深く眺めてみると、
思いもしなかった「分かれ道」が隠れているかもしれない。
「自分はこういう人間だ」って、
「自分の色」を選んだように思えても、
それはただの思い込みかもしれないのだ。
結局はそれも「一般化」
「人生」なんてものはそんなものだと、
そう決めつけたところで、
その先に描く希望がなければ、
人は生きていく糧を失ってしまう。
「一般化」
理解を進めるために便利な手法だけれども、
それは「思い込み」を助長する。
「目の前の一つのことと向き合う」
結局、答えはそこにしかないのだ。
己の経験により作り出す、
輪郭のぼやけた「一般化」された像とばかり向き合って、
目の前にある実像を見誤る。
目の前にある人は、
目の前にあることは、
確かに存在する私が向き合うべきものなのだ。
そのことだけは忘れてはならない。