「アンガーマネジメント」
それは理不尽に晒されながら働くことが日常となった、
そんな現代ビジネスマンにとっては、
喫緊の課題と言っていいかもしれない。
要は「サービス過剰」なのだ。
それが「あ・た・り・ま・え」
になったものだから、
サービスを提供する側は自然と疲弊する。
そういう社会だ。
さて本題の「リアプレイザル」
「再評価」を意味する言葉のようだ。
自分に怒りが湧いた時、
そして相手の怒りに晒された時、
それを「別の視点」から見るというもの、
「自分は何で怒っているのだろう」
「相手の怒りの先には自分の見えないものがあるのかもしれない」
そうやってひとまず、
「怒り」と「自分」を分離する。
そしていろんな視点から眺めてみるのだ。
今朝のイラっとする出来事が、
些細なことで感情を爆発させる、
そんな引き金になっているのかもしれない。
目の前の怒っている相手は、
普段から家族に蔑ろにされていて、
「やり場のない怒り」をここぞとぶつけているのかもしれない。
妄想でもなんでもいい。
そうやって「怒りの理由」を仕立ててやる。
真実はどうだっていい。
自分が「怒り」を「別の視点」から見ることが重要、
それにより、
「怒り」という感情自体が滑稽に思えてくる。
ただし、
下手に笑顔を見せてはならない。
「怒り」に晒されている時、
こちらの「余裕のある態度」は相手の神経を逆なでするのだ。
「嫌いな奴の楽しそうな姿」ほど、
イライラするものはない。
「怒り」を向けられている自分は、
相手にとっては短期的であれ「嫌いな奴」
塩らしく目じりを下げて、
平謝りしていればいいのだ。
相手の立場が上ならば尚更だ。
「正義」だの「信念」に殉じて、
「怒り」に「怒り」をぶつけたところで得はない。
相手を潰すならば「大義」が必要だ。
「従順」だと思わせておいて、
いざという時にのど元に噛みつけばいい。
それを想像して悦に浸ることもまた、
「別の視点で見る」ということだ。
信長よりも秀吉よりも、
家康はその点に長けていたのだろう。
所詮この世は「弱肉強食」
弱いものは食い物にされるのだ。
爪や牙をむき出しにしながら生きていけるほど、
甘い世の中ではない。
「誠実さ」とは「優しさ」ではなく「強さ」なのだ。
争いを避けるためではなく、
味方を増やすための「強さ」なのだ。
そこに葛藤は必要ない。
『半沢直樹』
「勧善懲悪」は見ていて痛快だが、
あれはドラマだからできること、
彼が現代ビジネスマンの「理想」だとするならば、
「理想」と「現実」は立て分けなければならない。
「怒り」を原動力にするよりも、
「怒り」に理由をつけてそれを受け流したほうが、
圧倒的に生きやすいのだ。
人の「怒りの正体」は、
「居場所を奪われるかもしれないという不安」からくるもの、
「居場所」なんてものは多岐にわたるし、
どこを「居場所」と感じているかなって人それぞれ、
おまけに「気分」や「体調」によって大きく左右される。
「理想」や「信念」なんてものは、
「怒り」によって気づかされるものではない。
時間をかけて言語化するものだ。
「怒り」なんてものは、
「気まぐれで不確かなもの」なのだ。
それに振り回られたところで得るものはほとんどない。
あまりにもコスパが悪い。