「この人かもしれないな」
婚活を始めてからそう思える相手に、
一人だけ出会うことができた。
だけれども、
そう思っていたのは私のほうだけで、
「手をつないで帰った日」を最後に、
その人と会うことはなかった。
私はもう色んな人に、
「相手を探していること」を話している。
「うまくいかなかった」話をすると決まって、
「「この人だ」って思う人がいるよ」だとか、
「決まるときはトントンと決まる」だとか、
「奥さんと会ったときにこの人と結婚するなと思った」だとか、
そういう「ビビっと話」を聞く。
私の予感は外れたものだから、
その手の話に懐疑的なのだけれども、
本当にそういうことはあるのだろうか。
「一目惚れする相手は遺伝的に相性がいい」だなんて、
そんなことを聞いたことがあるけれど、
今はいくらでも容姿を飾れる時代だ。
少なくとも男側からの一目惚れなんて、
容姿が9割だ。
全く当てにならないように思う。
あとは「匂い」
「相性の良い相手からは良い匂いがする」というもの、
これだって眉唾だ。
今や「スメルハラスメント」なんて言われるから、
「匂い」対策は男にしても身だしなみの部類に入る。
それに体臭をかぐ機会なんて、
よほど親密にならなければ、
まず無いだろう。
それほど親密な仲ならば、
十分「恋の魔力」に落ちている頃合いだ。
「いい匂いがする」なんて、
いくらでも後付けの理由になる。
結局は、
結婚してから満たされていることが大事なのかな。
今が「満たされている」から、
既婚者が未婚者に対して、
出会いを美談として語るのだ。
人は「イマ」を肯定したがる生き物、
好き好んで自分の人生を否定したがるなんて、
真正のマゾヒストくらいだ。
だから、
よほど満たされていない場合を除いて、
人は自分の「幸せ」を信じたがる。
「ピタリとハマる人」
はじめはそうではなかったとしても、
同じ時を重ねるごとに、
「ピタリとハマる人」へと変わって行く。
嫌になるほど一緒にいると、
「嫌悪」に変わることもあるけれど、
そこまできたら、
あとは「腐れ縁」として進んでいく。
きっとそういうもの、
リスクばかりが目について、
先に進むことを恐れているけれど、
極端な話「誰でもいい」のかな。
数十年前までは、
「お見合い結婚」が主流で、
相手を選ぶことの方が珍しかったのだ。
経験していない私の立場からすれば、
そう結論付けたほうが腑に落ちるのだけれども、
実際のところはどうなのだろう。
選択肢が広がりすぎて、
「もっといい人がいるはず」
そうやって未婚者が増えるのだ。
「ピタリとハマる」
私はそこに希望を求めすぎているのだろうか。