「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「都合の良さ」を使いこなせないのは人としての欠陥

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「人は都合の良い生き物」

私はたびたびそういう表現を使ってきた。


ある種の「皮肉」を込めての言い回しだったのだけれども、

裏を返せばそれが「表」なのだ。

当たり前のこと、


皮肉でも何でもなく、

それが人の本質、


メタ認知がクセになっているものだから、

自己矛盾を見つけては是正する繰り返し、


そういう努力を重ねてきたけれども、

「都合の良さ」

それに身を委ねることができないのは、

人としての欠陥なのかもしれない。


「自身の感情をコントロールすることで成功に近づく」


多くの啓発本なんかは、

大抵そういう理論に基づいて書かれているけれど、

感情をコントロールしすぎると、

見える世界が変わってしまうのかもしれない。


メタ認知では飽き足らず、

相手の感情を理論立てて推測して、

行動の矛盾点の出所を探る。

 

めんどくさい相手に対しては、

出所まで先読みして指摘すると、

相手は「ぐぅ」の音も出なくなる。


「都合の良さ」

 

口には出さないけれども、

皆それを「察している」のだ。


それでいて、

それがマイナスなものであれば慰めるし、

プラスなものであれば褒めたたえる。

人間関係は「都合の良さ」の上に成り立っているのだ。

 

バファリンの半分は、

「優しさ」で出来ているらしいけれど、

「優しさ」のそのまた半分は、

「都合の良さ」で出来ている。


本人が都合よく解釈していれば、

自分に害が及ばない限りはそれを否定しない。

 

ただでさえサイレントマジョリティが文化として定着する日本、

「本音」はなかなか表に出てこない。


そういう世界で生きている限りは、

その世界では「都合の良さ」が市民権を持ったルールとなる。


だから私も「都合よく」自分の気持ちをごまかして、

「都合よく」相手を気持ちよくさせて、

「都合よく」この世界を解釈すればいいのかな。


「世界の正体」なんてものに興味を持ってしまったら最後、

カタギで生きていくことはできないのだ。

 

人はいつだって無い物ねだり、

「満たされない」

いつまで経っても「渇く」ばかり、

 

その「渇き」を潤すために、

水を与え合うのだ。

 

その水のことを「優しさ」と呼ぶ人もいれば、

「馴れ合い」と馬鹿にする人もいる。

 

欲しい。欲しい。欲しい。

渇く、渇く、渇く。

 

水が欲しいから水を与える。

だけれども気をつけなければならない。

 

自分の水を飲み干してしまったら、

誰かに水を与えることはできないし、

代わりに水をもらうこともできなくなる。


みんな「都合よく」生きているのだから、