「婚活」の謳い文句としてよく見かける言葉、
「真剣に相手を探しています」
「真剣な方のみお願いします」
私は男の立場から見ているので、
見えないところがたくさんあるのだろうけれど、
おそらく「体目的」
遊び感覚のアプローチをする男がいるのだろう。
そういう人を避けるための防衛策、
それが「真剣」という言葉なのだ。
「真剣」
そう謳っているくせに顔写真すら出さないで、
無駄にキラキラした写真たちとプロフィール、
人となりは全くわからない。
「真剣」
便利にそういう言葉を使っているけれども、
当の本人は「真剣」に相手と向き合っているのかな。
積み重なる「いいね」に翻弄されて、
とりあえずマッチングしてはみたものの、
場合によっては何度も会って、
毎日連絡を取り合っていても、
他の男と天秤にかけたり、些細な違和感で切り捨てる。
「真剣」だと書いて関係を進めたくせに、
人とは「真剣」に向き合わない。
「どの口が「真剣」と言っているのだか」
そう思うことが多々あった。
結局、人は都合の良い生き物だから、
自分が「受けた」辛さや苦しみは必要以上に主張する癖に、
自分が「与えた」辛さや苦しみには気が付かないのだ。
私はお断りをするにしても、
合理的な判断基準を設けて、
できる限り「誠実」であろうとしてきた。
どのような出会いであっても、
画面の向こう側にいる人は生身の人間、
そういう視点を忘れたら人として終わりだと思うから、
だけれども、
その考え自体が婚活という「戦場」には合わないのかな。
結局「婚活」なんてものは「弱肉強食」で、
死屍累々の上に築かれた、
たった一つの幸せを享受するシステム、
「うまくいった」という結果以外はゴミなのだ。
そして「うまくいった」という結果すら勘違いかもしれない。
それでも人は希望を求めて群がる。
所詮、社会は需要と供給、
「ニーズ」があるからビジネスとして成り立つ。
人の欲望を食い物にした「ビジネス」なのだ。
「真剣に相手を探している」
そう謳っている人で、
私から見て「真剣」だと感じた人に出会った試しがない。
いや、そう書いていなくてもアプリ自体で、
「真剣」だと感じた人に出会った試しがないな。
結局みんな「結婚がしたい」と思いながらも、
そこまで「結婚がしたい」と思っていないのだ。
そして婚活なんて恋愛の下手くそ同士の集まりだから、
うまいこと先に進む方が稀だ。
もちろん私もその一員なのだけれども、
それにアプリだと少しでも気に入らなければ、
ボタン一つで切れる関係だ。
「真剣」に向き合う事とは対極にある。
「お手軽」この上ない出会い。
そこで「真剣」だなんて主張したところで、
それはただのパフォーマンスでしかない。
もはや何かしらの強制力が働かないと、
未婚率は増える一方だ。
「結婚して子供がいる家庭」
そっちのほうがマイノリティになったら、
きっとそういう家庭は生き辛い世の中になるんでしょ。
そうやって、
自分がうまくいかないからって、
未婚の正当性を探っているのだ。
ゼクシィのCMで話題になったフレーズ、
「一人でも幸せに生きられる時代に、
私は誰かと生きることを決めました」
だっただろうか。
人類は生殖活動やスキンシップによる幸福感よりも、
大きな快楽を得られるものを発明しすぎたから、
その結果として滅びることになるのかな。
女性たちは自立して、
「選ばれる側」から「選ぶ側」に立場を変えた。
そのくせ「恋愛」というシステムは旧態依然のままだ。
そんなことはどうでも良い。
私の知るところではない。
確かなことは一つ、
私は「婚活」には向いていないのだ。