「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「希望」を信じるよりも「絶望」を信じる方が容易い

f:id:tureture30:20201211062908j:image

 

だから人は「絶望」の引力に引き寄せられる。


「セルフハンディキャッピング」

自分で自分の将来に予防線を張るのだ。

tureture30.hatenadiary.jp

 

そういうことが日常になって、

表面的には「優しい」人たちに囲まれて生きていく。


「希望」を信じること、

否、「信じ続ける」こと、

それには途方もない労力が必要だ。


そして「希望」が叶ってからも、

「こんなに幸せでいいのだろうか」

「この幸せはいつまでも続くのだろうか」


そうやって不安に怯えることで、

人は「予防線を張る」


いつまでも「絶望」の引力に惹きつけられて、

気が付けば引き付けられている。


人生には「まさか」という坂がある。

割とポピュラーに使われる表現だ。


人は「得をする」よりも、

「損をしたくない」生き物、

 

だから「絶望」は格好のおやつなのだ。


「損をしないように」って、

先読みして「絶望」のことだけ見張っていればいい。

 

そして「絶望」が顔を出した時に、

「それ見たことか」って、

予想的中を勝ち誇っていればいい。


シンプルでわかりやすい「リスクヘッジ

そうやって「絶望」の虜になっていく。


だけれども「希望」


そっちのほうにも目を向けてやらないと、

「希望」ってやつから、

そっぽ向かれちゃうんじゃないのかな。

 

漠然としたものではなくて、

確かなもの、


「希望」を叶えやすくするためには、

その正体をしっかり見定めなくてはならない。


何に向かって進んでいるかもわからない。

わかっていても迷いながら進んでいる。


だから途中であきらめてしまって、

「それ見たことか」って、

「初めから期待なんてしていなかった」って、

「どうせ叶うわけないんだよ」って、

「絶望」という名のおやつに飛びつくのだ。


何とも惨めなこと、


バカになればいい。

もっとバカになればいいのにね。


どこまでも「希望」に思いを馳せられるくらい、

バカになれればいいのにね。

 

人はバカなくらいがちょうどいい。

 

「禁断の果実」というものは、

確かに「禁断」だったのかもしれない。

 

本能に忠実に、

素直にまっすぐに生きたい。

 

誰を傷つけることになったとしても、

素直に生きたい。

だけれどもそれをできないのが私なのだ。