ペットボトルで水を飲む。
少しずつ斜めに傾けながら、
目線よりも上にかざしてみる。
舌を使って出口を堰き止めて、
少しずつ角度を増していくボトル、
75度くらいまで上がったところで、
ふとボトルの中に視線を注ぐと、
「水の中」にいるみたい。
そのことに気が付いてから私は、
何かに後押しされるかのように、
自然とその行為を繰り返すようになった。
「重力が失われていく」
一種の暗示のようなものだろうか。
高々500mlの「小さな水の塊」
その中に私の心は溶け込んでいく。
そして「スッ」と重力を失っていく。
散らかった言葉たちが、
水中に身を預けて「ふわり」と浮かび上がり、
あるべき場所に引き寄せられていく。
頭の中に「隙間」ができる。
「どうでもいい」って、
「別にどうでもいい」って、
出来上がった「隙間」に、
私はそんな言葉をぶち込むのだ。
目の前に課題があって、
あまりにもそれに近づきすぎてしまうと、
その「課題」に目隠しされてしまう。
「目の前のこと」
それが人生を左右する一大事、
そんな風に見えてしまいがちだけれども、
大抵そんなことはないのだ。
だから無重力に身を任せて、
見える景色が変わってきたら、
改めて「身の振り方」を考えてみればいい。
コンビニでコイン一つでお釣りが来る。
100円にも満たない、
そんな水の入ったペットボトル、
使い方次第では、
その価値を100円以上にすることができるのだ。
人生ってものは大抵何とかなる。
何とかならなそうなことに直面しても、
人は強かに立ち回り、なんとかするのだ。
人は恐ろしく弱くなる時もあれば、
恐ろしく強くなる時もある。
そのギャップに傷つけられることもあれば、
それに救われることもある。
だから私は今日も、
ペットボトルの中を覗き込んで、
頭の中に「隙間」を生み出す。
そして「どうでもいい」って、
自分に言い聞かせるのだ。