「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

自己正当化モンスター

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「うまくいかなかった時」


それを受け入れるための思考回路を考察すると、

大きく2種類に分けられるように思う。


1つは、

うまくいった先の未来にケチをつけて、

「うまくいかなくて良かった」と自分に言い聞かせる方法、


もう1つは、

「うまくいけば良かったけれど、ダメなものは仕方がない」と失敗を受け入れる方法、


私の場合は前者に偏っている気がする。


「うまくいかなかった事柄」にケチをつけて、

「自分は損をしていない」と言い聞かせる。


事実を捻じ曲げてでも、

自分を正当化したいのだ。

「傷つく勇気がない」からそういうことになる。


最近読んだ記事で、

ハッとするものがあった。


「『正義』を使って相手を殴っている人がいる」

というものだ。


私は私を過保護にして、

自分を正当化するロジックを組み立てる癖がある。


相手に70の非があれば、

それを90くらいに仕立て上げ、

相手の非が30くらいだったとしても、

相手のズルさや不誠実さが垣間見えるならば、

それを70や80に仕立て上げる。


私のタチが悪いところは、

10や20は自分の非を認めているところだ。


それにより独善的ではなく、

客観的に公正公平であると思い込む。


私は私のことまでも騙して、

「正義」を振りかざして暴力を振るっているのかもしれない。


何とも浅ましく惨めだ。


そうやって手に入れた「居場所」にしがみついて、

紳士気取っては「自己肯定感」を保っている。


あまりにも「誠実さ」を食い物にされすぎて、

「傷つくこと」に敏感になってしまったのかな。


だから先回りして、

その根を断つことに躍起になる。

そうやって「自己正当化モンスター」の誕生だ。


確かに相対的にみて、

「私のほうが正しい」ことは多いのだろう。


そして私が暴力を振るう相手は、

「不誠実」や「いい加減」で「有言不実行」なことが多い。


だから相手から差し出された「罪悪感」を盾にして、

「自業自得だ」って見下しながら、

「正義」の剣を振りかざす。


そこに「快感」を覚えて、

それを繰り返しているのかもしれない。


繰り返すけれど、

何とも浅ましく惨めだ。


主張すべきことは主張しないといけないけれど、

「過剰防衛」なのかもしれないな。


今書いている文章だって、

やけに言い訳がましい。


「誠実でありたい」と思って生きているけれど、

それだけで生きられるような世界ではない。


もはやトラウマレベルになってしまった、

「女性の不誠実さに対する恐れ」と、

私はどのように向き合えばいいのだろう。


「ダメなものは仕方がない」


報われなかった結果も、

ズキズキと疼く痛みも、

私とは縁のなかった事柄たちの価値を乏すことなく、

受け止めることができたならば、

私は変わることができるのかな。


「自己正当化モンスター」は、

自己正当化が「生きがい」なのだ。


何とも浅ましく惨めな生き物、