「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「姪」と「甥」とのコミュニケーションの中で感じること

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私には「姪」と「甥」がいる。

共に未就学だ。


「姪」がお姉ちゃんで、

「甥」はイヤイヤ期の真っただ中、

 

いっしょに遊ぶ機会が増えた。

年末年始も実家で遊んだ。


幼稚園児の間でも、

鬼滅の刃』は絶大な人気らしく、

この前は姪と『紅蓮華』をセッションした。


私が口ずさむと一緒に歌ってくれるのだ。

それも「エンドレス」

何度口ずさんでも釣られて歌ってくれる。


「知ること」

「知っていること」

が楽しくて仕方がないみたいだ。


言葉でのコミュニケーションが取れるようになれば、

語彙は足りなくても立派に「人間」だ。

 

理性は働かないけれど、

行動規範はさして変わらない。


ただ知らないことがあまりにも多いから、

自分の「欲望」にまっすぐなだけ、

自分の「好奇心」にまっすぐなだけ、

 

大人との違いは、

ただそれだけなのだ。


人は経験を積むことにより、

どんどん「仮面」を増やしていく。

「ペルソナ」ってやつ、


巧みにそれを付け替えて、

夫や妻を演じてみたり、

親として振舞ってみたり、

社会人として規則に縛られてみたり、


たくさんの「自分」と折り合いつけながら生きるようになることで、

もともとの自分が分からなくなる。


本来は「欲望」にまみれていて、

「好奇心」が有り余っていて、

ただそれにまっすぐだったはずなのに、


「こうしたらこう見られるかな」って、

周りの目ばかりを気にするようになって、

いつだって誰かに要請された振る舞いが「正解」になる。


やりたいことはできなくなって、

言いたいことは言えなくなって、


中身はみんな違うはずなのに、

表向きはみんなおんなじ金太郎飴、


「列を乱していないか」って、

24時間監視されているうちに、

「正解」はその幅を狭めていって、

最後には一つしかなくなってしまう。


「おかしい」って気が付いているはずなのに、

「おかしい」とは言えなくなって、

気がつけば知らずのうちに、

家畜のように飼育されているのだ。


「飼育」されないためには、

「子供の心」を手垢がつかないように保管しておかないといけない。


私はもう手遅れ、

汚れてしまったようだ。

 

だけれども、

「汚れてしまった心」で生きていくしかない。

 

縛られることによって得られる自由、

「大人」になることで享受するものは小さくない。

それなしでは生きてはいけないくらいだ。

 

子供は大人になりたがる。

その希望は生きている限り嫌でも叶う。

 

だけれども、

大人が子供に戻りたがったところで、

それを叶えることはできない。

 

人類が「知恵の実」に手をつけてしまったように、

一度手にしたものを捨てたところで、

元に戻ることはできないのだ。

 

「知ってしまった」

 

「文明」ばかりが発達して、

人は欲望を抑えて飼育されながら生きていく。

 

「姪」と「甥」

 

その姿を見ていて、

可能なうちは無垢でいて欲しいと願う。

 

せめて、無垢でいられるうちは、

無垢でいて欲しいと願う。

 

大人の保護にありながらも、

子供の心は自由なのだ。

 

子供たちの無垢な心に触れながら、

そんなことばかりを考えている。