目を向けようとしないから気が付かない。
世界は「美しいもの」で満ち溢れているのだ。
「不安」に支配されるあまり、
人は人のことを疑って、
「傷つかないように」って、
予防線ばかり張って、
「敵を作らないように」って、
自分の気持ちを偽ってばかり、
自分の手で目隠ししてさ。
その顔を覆っている手をどけてみればいい。
頭の中で考えているよりも、
世界は輝いて見えるはず、
青空を見上げてみればいい。
うっすらと見えるお月様に笑われている。
そんなちっぽけなことで悩んでいるの?
人一人の命だ。
どれだけ大きく悩んだところで、
たかが知れているとは思わないかい?
人は目の前に、
達成困難な課題を突き付けられると、
そのことばかりに思考のリソースを奪われてしまう。
苦しんで、苦しんで、
悩んで、悩んで、
その末につかみ取った「成功体験」ってやつ、
誰もが一度や二度は、
そういう経験をしてきたものだから、
その魔力に魅了されているのだ。
「生きている実感」
いくらわかりやすいからってさ。
そのほとんどを「成功体験」に委ねてさ。
「望むものさえ手に入れればすべてがうまくいく」だなんて、
そんな幻想に縛られて生きているのだ。
「生きる」ってさ。
「成功」しなければいけないのかな。
「努力」し続けなければいけないのかな。
確かに、
つかみ取ったものが「生」を実感させてくれる。
それは否定しようのない事実だ。
だけれども、
誰もがこぞって「成功」ばかりを求めてさ。
安直すぎやしないかい。
「成功」なんてものは、
人生の一側面でしかない。
ふと見上げた空の美しさ。
眠れない夜に窓から差し込む月明かり、
吐く息の白さが際立たせる真冬の朝の澄んだ空気、
「生きている」実感なんてものは、
そこかしこに溢れているのだ。
それらを差し置いてさ。
「成功体験」ばかりを追い求めていたら、
多くの「美しいもの」を見逃してしまうんじゃないのかな。
「足りないもの」ばかりに目を向けて、
それ以外の部分は黒塗りにして、
どうしたら手に入れられるのか。
どうしたら満たされるのかってさ。
そんなことばかりに躍起になる、
その目は死んでいる。
幸せ求めて徘徊するゾンビみたいだ。
「成功体験」は大事、
「生きるに足る理由」になる。
だけれどもそれが全てではない。
だから私はやめた。
足りないものばかりを求めて、
それに縛られて生きることをやめた。
「心が望む生き方」の先に、
たまたま「望むもの」が手に入ればいい。
それくらいがちょうどいいのだ。