「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「コントロールできないことにこだわるな」って言うけどさ

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アドラー心理学を元に書かれた、

『嫌われる勇気』をはじめとして、

自己啓発本を紐解くとお題目のように書かれている言葉、


「おっしゃる通りです」


身に染みて感じる場面は多いから、

全面的に身を委ねたくなるけれど、

「いや、ちょっと待てよ」


捉え方を履き違えてしまうと、

ただ不確かな未来に怯えて、

「挑戦」することを恐れるようになってしまう。


世の中なんて、

コントロールできないことのほうが多い。


人は、それを「努力」することによって、

誤魔化しながら生きているのだ。


健康管理だったり、

勉学に励んだり、

あるいは人間関係を広げたり、

 

他者から信頼を得るために、

ギバーとして振る舞う行為なんかも、

これに当たるだろうか。

 

「人生をコントロールできている」


そうやって、

「コントロールしている」気になって、

心を安定させようとする。


別にそれが悪いわけではない。

裏を返せば「コントロールできないこと」

世の中に溢れている数々の不確定要素たち、

 

それに対するアプローチとして、

「努力」は最もポピュラーで、

自分を納得させるための優れた手法なのだろう。


「これだけ頑張ったんだから」

「ここまでやれば悔いはない」


人は運を天に任せるために、

「努力」を「理由」に変えるのだ。


だから「コントロールできないこと」

それに対するアプローチを間違えてはいけない。


「可能な限り善処する」


その上でどうにもならなければ、

あとは「手を放す」しかないのだ。

 

「課題の分離」っていうけれど、

それにしたって、

「はじめから無関心を決め込む」わけではない。


善処した上での「手放す」に「固執しない」

それが自己啓発本なんかで説かれる、

「こだわらない」ということ、

 

結局、人は「頑張っていない」と、

自分で自分を認めてあげられないのだ。


本人は「頑張っている」とも感じていないで、

周りから見たら「頑張っている」ように見える。

そういう努力の仕方が理想だと思う。

 

だけれども、

私はそこまで達観できていない。

 

自意識過剰なものだから、

「頑張っている自分」が好きなのだろう。

「はぁはぁ」と息を荒くしながら、

「頑張っている自分」に興奮するナルシストだ。


「コントロールした気になる」


今はそれに気が付きながらも、

そこに自尊心を委ねて、

「その気になって」

自分を気持ちよくさせていればいい。


プラセボでいいのだ。

人生なんて終わってみないとわからないもの、

 

積み重ねてきた経験というものは、

多くの場合で良質な判断材料になる。

 

「何事も経験」その通りだと思う。

コスパばかりに囚われてさ。

貴重な「経験の機会」を逃していたら世話はない。

 

「ここまでやったんだから」

 

最後にそう思うことができれば、

おそらく人生に「悔いはない」のだろう。

 

自分を「努力」で誤魔化しながら、

私は今日も生きている。