私の変わったところの一つ、
私は人を笑かすことが好きだ。
悪意からくるものでなければ、
「笑いものになる」ことも苦にならないどころか、
「おいしい」と思っている。
前にも書いたかもしれないけれど、
中学時代のエピソードだ。
体育会系の部活、
自主練の時に伝統の「後輩いびり」があった。
「おもしろいことをやれ」
先輩からそういう命令をされるというもの、
周りの仲間たちは「最悪だ」と、
陰で口々に言っていたけれど、
私はそれが苦でははなかった。
その天然でつかみどころのない芸風は、
先輩たちにも概ね好評だったと記憶する。
私は芸人気質なのかもしれない。
「ゆりあんれとりぃばー」にシンパシーを感じているくらいだ。
「笑いを生み出すこと」
もちろんTPOはわきまえないといけないけれども、
「意識すること」の一つに加えてもいいのかもしれない。
人は笑顔になりたいのだ。
このような世の中だから尚更だ。
だから面白い人のところに人が集まる。
難しい顔を崩さない。
そういう人だって不器用なだけ、
本当は笑顔になりたいのだ。
「Giver」
与える人は人からも与えられる。
「施されたら施し返す!恩返しです!」
きっとまだまだ世の中はそういう風にできているのだろう。
難しい顔、浮かない顔、疲れた顔、
知らず知らずのうちに毒をまき散らしている。
笑顔になりたければ、
人を笑顔にすればいい。
それが巡り巡って自分の笑顔につながる。
なんとも簡単なことだ。
「好意の返報性」
よほど事情がない限り、
人は好意に対しては好意を返す。
だけれども気をつけなければならない。
人の善意を食い物にするような、
そんなサイコパスもいるのだ。
基本は「いい人」でいればいい。
だけれども「都合のいい人」にはならない。
誰かの評価に自分の価値を委ねるからそうなる。
自分の価値は自分で決める。
そのことさえ忘れなければ、
失敗して笑い者になることだって、
意外と「おいしい」のだ。
隠そうとするから面倒なことになる。
自分から失敗を開示すれば笑いになる。
なんとも簡単なことだ。