「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

最近の「漫画」や「アニメ」はよくできていると思う

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人はなぜ「作品」に感情移入するのか。

その答えとして思い浮かぶもの、


「疑似体験」


人は「誰かの人生」に触れることで、

自らの知見を広めることを欲しているのだ。


いわば「純粋な知的好奇心」

そして突き詰めれば、

「不確実な未来に向けての生存本能」


そういうものが、

心を突き動かすのかもしれない。


人生というものは「不確実」だ。

次の瞬間に何が起こるかわからない。


人は無意識のうちにそのことを知っているから、

知識を集めることで「不確実な未来」に対応しようとする。


人も動物だ。

生存本能に突き動かされて生きている。


ホモ・サピエンスが道具を使い、

知識をため込むようになった淵源は、

おそらくそこにあるのだろう。


だから多くの知見を共有して、

生存確率を少しでも上げようとする。


それが人の「本能」なのだ。


命を脅かされることが少なくなってからは、

「知識」を「芸術」と呼ぶようになり、

「生きるための手段」は「娯楽」に転じていく。


人は刺激を求めて、

「誰かのストーリー」に惹かれるようになる。


その「ストーリー」が自らに降りかかる。


そういう可能性もゼロではないのだと、

心のどこかで期待して、

それを「生きる活力」に転じている。

 

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前置きが長くなった。


ここ最近の私、


自粛となったものだから、

サブカルに触れる時間が増えている。

主に「漫画」と「アニメ」だ。


作品を一通り鑑賞した後に、

その作品を評価している自分に気づく。


その行為は「答え合わせ」


自分が歩んできた「ストーリー」と、

作品に描かれた「ストーリー」

 

一致する部分が多ければ「好き」となるし、

そうでなければ「好き」とはならないかもしれない。

 

人は「自分の価値観」と照らし合わせて、

「作品の良し悪し」を評価しているのだ。


だから爆発的大ヒット、


それをもたらすためには、

「時代に沿う」というだけではなく、

「人間の本質」を突いたテーマが必要なのだろう。


「よくできているな」って、

そう思う作品が増えた。


その印象を考察してみると、

最近の「漫画」や「アニメ」はどこか文学的なのだ。


人のニーズに合わせて、

表現の仕方は変わっていくのかな。


社会に大きな影響を与えるような文学作品は、

ここ最近出てきた記憶がない。


近年のベストセラーは、

生活術やビジネス術を扱ったものが多い。

そしてそれらは昔ほど爆発的に売れることは少ない。


「知識のコモディティ化


言い回しは違っても、

どこか昔の焼き直しなのだ。


だから「表現の仕方」

人々はそっちの方に刺激を求めているのかな。


かつては社会に対して、

大きな「刺激」を与えていた「文学作品」

その表現方法が「活字」から「絵」や「映像」に変わった。


今の大手の編集者なんか、

みんな「サブカルマニア」だ。


もちろん作家の創造性あってのものなのだろうけれど、

「これでもか」というくらいに知識をため込んだ、

そんな「サブカルマニア」監修のもとで出来上がる作品たち、


「よくできている」わけだ。


友人の友人の話だから眉唾だけれども、

ある大手出版社の編集者は「取材」と称して、

あらゆる芸術に触れる機会を自由に持つことができて、

その費用は全て経費として落ちるらしい。


そうやってどんどん知識をため込むのだ。

まさに「知の泉」とでも言えるだろうか。


進撃の巨人』は、

編集者と作者が二人三脚というのは有名な話だ。


鬼滅の刃』にしたって、

終盤の「凄み」や展開の膨らませ方なんかは、

おそらく映像化を見越した編集の意図があるのだろう。

 

漫画を読んだだけで、

「これが映像化されたらすごいことになるな」と、

ワクワクするような戦闘シーンが続いた。


爆発的なヒット作の裏には、

「編集者」の担う役割が大きいように思う。


「編集者」という名の「知の泉」たち、


作品テーマは作者に委ねられるのだろうけど、

その中で「どうしたら売れるのか」

そういうプロデュースをしているのだろう。


だから作品の質は底上げされる。

その反面で、そこか似通ったものになる。


先に書いたけれども、

「知識のコモディティ化


今の子供たちが精神的に大人びているのは、

文字通り「よくできた」

「漫画」や「アニメ」の影響が強いと感じる。


だけれども、

手を変え品を変え表現方法を変えたところで、

それにも限界はある。


ダイの大冒険』の岩を斬る修行が、

鬼滅の刃』のパクリだと言い出す無知な子供たち、


作品が増えるほどに表現は重なっていく。

リソースはどんどん枯渇していくのだ。


人間性」のアップデートよりも早く、

「技術」がどんどん進化していく。


サブカルの行き着く先はどこになるのだろうか。

ただただ「ループ」を繰り返すだけなのだろうか。

 

人の生存本能に端を発し、

「芸術」から「娯楽」に転じて、

形を自由自在に変えていく。

 

さて、どこに辿り着くのだろうか。

私はそれが楽しみでならない。