私も最近好んで見るようになったけれど、
少し前から流行っている「異世界転生もの」のアニメ、
「なろう系」の小説を原作しているものが多いらしい。
大抵のあらすじはこうだ。
若くして不慮の事故で命を落とす主人公、
「もっと何をしたかったな」だとか、
「童貞卒業したかったな」だとか、
未練タラタラな様子で死の淵に沈んでいく。
すると頭の中に「見知らぬ声」が聞こえてきて、
前世の記憶そのままに、
生まれ持っている能力は「チート」だ。
その反則的に強い能力を発揮して、
世界を平和へと導く勇者になる。
こんな筋書きのものが多い。
この手の作品のすごいところは、
「死」に対する恐怖を緩和すると同時に、
「満たされない今」を何の努力もしないで乗り越えられるという、
「希望」を描いているところだ。
「報われたい」けれど「努力したくない」
なんとなく生きていて、
なんとなく幸せな人生を歩みたい。
現実的にはそんなことはありえないけれど、
死ぬとそれが叶ってしまうという「希望」
大昔に「極楽浄土」が流行った理由と同じだろう。
人の潜在的な欲求に対して、
ダイレクトに訴えかけてくる構造、
確かによくできている。
かく言う私もその魅力に惹きつけられている。
『このすば』『リゼロ』『転スラ』など一通り見た。
『リゼロ』は少し異色だけれども、
「異世界転生もの」は大抵生まれ変わってから、
セカンドライフ的に充実した生活を送る。
この世界に不満を持っている人、
そっちのほうが多数派なのだろう。
「努力」は報われないことの方が多いし、
「努力」すること自体が馬鹿らしくなる。
バブル期とは違って、
景気の見通しは明るいとは言い難いし、
若者は物心ついた時から情報の波に揺られて、
現実を突きつけられて育ってきたのだ。
「子供が子供のままではいられない時代」
私のように頭の中お花畑にして、
「純愛主義」なるものを掲げたところで、
どこかで挫折して現実と向き合うことになる。
「現実」「現実」「現実」
「現実」ばかり突きつけられて、
それに疲れているのが現代人だ。
だから「異世界」
今いる世界とは違う場所に、
「希望」を見出そうとするのかな。
誰もが心のどこかで、
「今とは違う人生を歩みたい」
そしてそれは「今よりも恵まれているはずだ」
そう思って生きている。
過去を邂逅したらキリがない。
「今だったらもっとうまくやれるのに」って、
そう思うことばかりだ。
だけれども、
「その時の自分」にはできなかった。
だから後悔を乗り越えて、
「今の自分」がある。
過去にばかり縛られていないでさ。
不確かな来世にばかり思いを馳せていないでさ。
「今を生きる」ことが大事なんじゃないのかな。
だから私は「今を生きる」ために、
「異世界転生もの」を見るとしよう。
チート能力を持っていて、
簡単に世界の英雄になれて、
エルフやらサキュバスやら、
そんな魅惑の存在からモテモテで、
最高じゃないですか!
「異世界転生もの」
本当によくできたジャンルだ。