はてなブックマークにもエントリーされていたけれど、
権威ある雑誌に掲載されたという論文、
それによると、
脳のあるスポットに電気を流すことで、
うつ症状緩和どころか多幸感をもたらす実験結果が出たらしい。
頭に機器を埋め込んで、
定期的に電気を流すことで、
「うつ」の根治に至ると期待されているようだ。
これにより理論上は「喜び」という感情を、
物理的な刺激によりコントロールできるということになる。
ここまでくるとSFの世界に片足を突っ込んでいる。
伊藤計劃『ハーモニー』
人類はナノ分子を体に注入することで、
「健康」を機械に委ねることになる。
人体は世界の貴重な資源として管理され、
不健康な行いは淘汰されていく。
教育は画一的で無機質なものとなり、
あらゆるストレス要因は禁忌として撲滅される。
日本SF最高傑作との呼び声も高い本作は、
そんな世界観を見事に描いている。
現実は確実にこれに近づいている。
書評を書いた時にも同じような感想を述べた。
ウェアラブル端末における健康管理、
そこで留めておけば、
人類の英知の素晴らしさを私は手放しで称賛する。
だけれども、
「感情」の外注化、
何をもって「自我」を定義付ければいいのだろうか。
「うつ」の画期的な治療法、
そういう意味での「希望」はあるのだろう。
私も「パニック障害」の経験があるので、
もちろん症状は個人により全く異なるものだけれども、
その「言いようもない辛さ」は理解できる。
だけれども、
本当にそれでいいのかな?
これがスタンダードな治療法になってしまったら、
治療者はみんな疑似的に生み出された感情に、
そんな「まやかし」の中に生かされていることにならないのかな。
嬉しくもないのに「嬉しい」と思って、
何が幸せだかわからないのに「幸せ」を感じて、
これから先そうやって生きていくのかな。
おそらく麻薬と同じように、
この治療法には依存性もあるのだろう。
かつて脳の一部を切り取って、
感情をなくして廃人を生み出した「ロボトミー手術」
それに近しい「狂気」を感じるのは私だけだろうか。
踏み込みすぎると投薬治療の是非に触れるので、
ここらで踏みとどまるけれど、
人の感情はそんなに簡単なものではない。
無理やり生み出した多幸感、
どこかにひずみが生じておかしなことになる。
人の感情って言うのはさ。
「自分が生み出した」という「一貫性」が、
必要なんじゃないのかな。
「生み出された感情」に対する責任は誰にあるの?
そう問われたときに頭を悩ませるようならば、
それは「生きている」って言えるのかな。
「うつ」だって、
「依存症」だって、
「パニック障害」だって、
ある意味では全部自己責任なのだ。
どんなに辛くたって、
苦しくたって、
それを受け止めるところからがスタート、
その先の人生は、
その延長線上にしかないんじゃないかな。
もちろん、
療養が必要な時期はある。
自己判断で大いに治療を受ければいい。
ゆっくりでいい。
自分のペースでいい。
だけれども、
どこかで立ち上がらなければならない。
少なくとも私は「死ぬ思い」をして、
投薬治療を受けることなく、
今の私にたどり着いた。
それを強要するつもりはないけれど、
私は「私の感情」を「別の何か」に委ねたいとは思わない。
「私の心」は私のものだ。
そう思うのは私だけだろうか。