テレワークが続くものだから、
単純に時間が増えるのだ。
出勤に割いていた時間は自分のものとなり、
仕事中も多少は時間を自由に使えるようになる。
もちろん勤務時間だから、
仕事は最優先でやっているけれど、
合間に家事を片付けてしまったり、
部屋の掃除をしてみたり、
そういうことをしている。
私が独り身だということもあるけれど、
そうやって生活を効率化していくと、
時間はどんどん増えていくのだ。
だから、
私はできた時間を埋めるために、
アニメやらゲームに時間を割いている。
そして、それにも飽きてきた。
普段とは違う生活を送っているものだから、
人との距離感がおかしくなってくる。
家族がいればきっと、
いつも以上に近づきすぎて、
それに煩わしさを感じるのかも知れない。
普段あっている人たちとは、
遠ざかりすぎて、
どう接して良いかわからなくなるのかも知れない。
単純にストレス要因が増える。
気が付かない速度で徐々に崩れていく。
昨年のDVと児童虐待の相談件数が、
過去最多を更新したようだ。
たとえ良い方向だと感じることでも、
環境が変わること自体がストレスになる。
それは行動に現れてくる。
人の心は試されているのかな。
自らの能力を発揮する場を奪われると、
人は「自分の存在価値」を信じられなくなる。
だから身体的弱者に対して「暴力を振るうこと」で、
自分の価値を相対的に上げようとする。
そんなことをしたって、
「人としての価値」は下がる一方なのにね。
「人生の大半は自由時間」
そんなCMがあったけれど、
その「自由時間」をどう使うのか。
とても大きな課題だ。
1度目のテレワークは、
目新しさにウキウキしていたけれど、
2度目のテレワークが続いてからは、
そういう感情は湧かないどころか、
ちょっとしたことでイライラするようになった。
「気持ちがわかる」とはとても言えないけれど、
「自粛」はギリギリのところで我慢していた人たちの背中を押すには、
十分なストレスなのかもしれない。
私が入院していた時に考えていたこと、
「たとえ手足を縛られていたとしても、
喜びを感じながら生きていられるような、
強くしなやかな心を手に入れたい」
今はその時の状況に似ている気がする。
むしろそれが「ニューノーマル」と叫ばれて、
その中でも責任を果たさなければならない分、
ストレスは大きいようにも感じる。
好きなことに割く時間が増えたはずなのに、
なんだか心には虚無感が積もっていく。
こうなる前に、
いっしょにいられる相手を見つけることができていたら、
また違う気持ちでいられたのかな。
そんなことばかり考える。
目の前に課題があって、
それにかかりきりで他のことを考える余裕もない。
私がライフステージを先に進めていたら、
それはそれで大変でも、
充実した日々を送れていたのかな。
過ぎた話だ。
どうしようもない。
もう少し、
きっともう少しのはずだ。
出口はもうそこまで来ている。