「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「大事なところ」を「隠す」から見たくなる

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はてなブックマークにエントリーされていたけれど、

Twitterで投稿されていた面白い漫画を見た。


 

マスク着用が義務付けられた、

今から10数年後の世界という設定だろうか。


その世界では「鼻」や「口」を恥部とみなされて、

人々はそれらを見られないようにして生活する。


設定が秀逸だ。


ずいぶん昔の記事だけれど、

「衣服と言う文化が生まれなければ、

裸を見ても欲情しないのかもしれない」


そんなことをブログに書いた記憶がある。


アダルトビデオの設定では、

「性に対するハードルが異常に低い」だなんて、

そんな世界が描かれることはあるけれど、

この作品はその逆を行くもの、


それでいて世相を上手く捉えており、

「もしかしたら起こりうるかもしれない」

そんな説得力を持っている。


我々の感覚だと、

「そんなことあるわけがない」と思うことでも、

人は生まれた時から当たり前にあるものに違和感をもたない。


昔見た動画で衝撃的なものがあった。

赤ちゃんが紙の雑誌を指でスワイプしているのだ。

 

その赤ちゃんからしたら、

生まれた時から当たり前のように存在する、

スマホ」や「タブレット」のほうが理解できて、

「紙の本」は理解できない存在なのだ。


それにイスラムの世界では、

女性は肌の露出が禁忌であるという。


日本人の感覚ではそこにエロティシズムを感じないけれど、

その文化に染まった人たちには、

そこに感じるものがあるのかもしれない。


「文化」というものは環境が生み出すもの、


だから、これから先の未来、

「マスクの下を見られるのは恥ずかしいこと」


そういう文化が広がっていけば、

数十年後にはそういう世界になっているかもしれない。

 

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さて、表題に戻ろう。


大事なところを「隠す」から見たくなる。

人の心理としてはとても理解できる。


「知的好奇心」の源泉としては、

主に次の2つが挙げられるだろうか。


1つ目は、

人は「わからないもの」を恐れるので、

不安を避けるために「知的好奇心」を刺激する。


2つ目は、

「見てはいけないもの」に触れるスリル、

「生きている実感」を得るために、

快楽物質を分泌を促す目的で刺激を求める。


さらに「性」が絡むと、

厄介なことに「種の保存欲求」と言うものが加わる。


これらを総合して考えると、

「隠す」という行為により、

「2つ目」が大いに刺激されることになる。


人がものを食べるという行為、

確かにある面では「性的」な印象はなくはない。


「食事中に居心地が良い人とは体の相性がいい」なんて、

まことしやかに書かれているものを見た記憶がある。


「人前でものを食べることのできない」

そういう摂食障害もあるようだ。


「口の中」を見られることは、

「体の中」を見られること、


その点からすれば、

「口」や「鼻」は「恥部」としての役割を果たすのかもしれない。


それを日常的に隠すことになれば、

「羞恥心」を飛躍させる可能性は十分にある。


今は隠したままだと生活がままならないから、

当たり前のように「口」や「鼻」を出して生活している。


だけれどもこれから先、

何年、何十年も「マスクをしたままの生活」が定着するかもしれない。


方法は思いつかないけれど、

マスクをしたまま飲食をする時代になれば、

「マスクの下を見られることは恥ずかしい」と思う。

そういう未来が待っているのかもしれない。


現に今でも自粛警察たちが動いて、

「マスクをしていないと悪」だなんてさ。

さらに飛躍して「ウレタンマスクは悪」だなんてさ。


このまま進めば、

「食事中にマスクを外すのは悪」だとか、

「食事は家でするべきだから外食自体が悪」だとか、

「親しい人以外に口元を晒すのは悪」だとか


何がどう進むかわかったものではない。


私はそういうところズボラだから、

掃除のおばちゃんに用を足しているところを見られても気にしないし、

運動部上がりで「でかちん」とバカにされるような学生生活を送った。


だけれども、

気にする人たちからしたら、

口元をみられることすら「恥ずかしい」って、

羞恥心が飛躍するのかもしれない。


ん?ちょっと待てよ。


「でかちん童貞」ってパワーワードだな。

何やら面白いキャッチコピーを見つけたのかもしれない。


いや、この話には関係ない。

この先は収拾がつかなくなる。


まとめよう。


「隠す」から見たくなる。

スリルを求めて快楽物質を分泌させるという目的では、

そういう面はあるのだろう。


だからこれから先、

「マスクの下」に対して羞恥心が生まれたら、

もしかしたらそこが「恥部」にまで飛躍する可能性はある。

 

2000文字も書いたけれど、

この記事の内容はこれだけで済むな。

 

簡単に書けることを長ったらしく書くのがエッセーだ。


「寄り道」の中で生まれるパワーワードもある。

だから人生は面白いのかもしれない。

 

そういうことにしておこう。