「世界」が輝いて見えるならば、
それはあなたの「心」が晴れやかだから、
「世界」が薄暗く見えるならば、
それはあなたの「心」が曇っているから、
嫌なことはある。
毎日、毎日やってくる。
それに一喜一憂していたら、
まるで誰かの「奴隷」みたいだ。
「何かに従っていれば楽」
「何も考えたくない」
そうやって「心」に蓋をしてしまったら、
あなたの「世界」は暗闇に包まれてしまう。
「外の様子」が気になって仕方がないくせに、
言い訳ばかりを盾にして、
差し込む光の眩しさに怯えてばかりで、
終いには耳までふさいでうずくまっている。
だから見えないんだよ。
働いていたって、
友達といたって、
恋人といたって、
「世界」が暗闇に包まれているから、
「隣にいる人」の顔も見えない。
「心」をどこかに置き忘れてしまったのかな。
辺りを手探りしてみても、
真っ暗で何もわからない。
見えていると思っているけれども、
本当に見えているのかな?
隣にいる人も、
鏡に映る自分の顔も、
空も大地も雨も雲も、
自分が存在しているはずの、
この「世界」のことを本当に見えているのかな?
「心」を動かしてもいないのに、
ちゃんと「世界」を見ているような気になって、
「心」は一歩も動いていないのに、
身振り手振りだけは「感動」を表して、
「ふり」ばかりが上手になっていく。
「世界」が色あせて見えるならば、
もう何年も薄暗く見えるならば、
みっともなくてもいいからさ。
なりふり構わずに、
「心からの感動」を掴み取りに出かけたらどうだろうか。
「遠くに行けばいい」というわけではない。
「心」の上に乗っかっている、
大した重さもないその蓋を、
少し横にずらしてやるだけでいい。
始めは差し込む光の眩しさに、
目がくらんでしまうだろうけれど、
徐々に目を慣らしていけば気が付くはず、
「世界はこんなにも輝いている」
そこからがスタートなんだ。
何度だってスタートを切りなおす。
スタート地点は、
いつだって自分が決めるもの、
「バン!」
ほらまた、
スタートを告げる銃声が鳴り響く。
そう思ったけれど、
銃口はこちらを向いていた。
どうやら、
心臓は貫かれてしまったようだ。
「ポジティブ」なだけでは、
生きてはいけないのだ。
どこで誰が狙っているのかわからない。
銃口の向きには気をつけろ!
by 「本能寺の変」