誰かの時間を買うことで、
自分の時間を創出する。
そのためのサービスが幅を利かせているようだ。
家事代行サービスなんてものは、
昔から存在したけれど、
今は人が動かずに物が動く時代、
「UberEats」やら「出前館」
割高なコストを支払って、
買い物や調理をする時間と手間を軽減する。
大手スーパーなんかも、
着々と配送サービスを充実させているらしい。
「格差社会の象徴」
時間を「買う側」と「買われる側」
私はどうしてもそこに格差を見てしまう。
「時間が愛に変わる」
愛を確かめたいならば、
プレゼントの値段なんかよりも、
相手がどれだけ自分のために時間を使ってくれるかを見たらいい。
誰かがそんなことを書いていた。
人々はいつだって駆り立てられているからさ。
「時間」というものの価値は上昇する一方だ。
足りない人にはとことん足りないけれど、
余っている人にはとことん余っている。
「お金」だけではなく「時間」も格差は広がっていくのかな。
トマ・ピケティの理論として有名だけれども、
労働賃金の上昇率よりも、
投資の利回りの上昇率が高い。
お金のある人のところにばかりお金は集まる。
今の世の中はそういう風にできているのだ。
社会は不安定で経営破綻している会社が多い中、
それにも関わらず株価は不気味に上昇を続けている。
時代は変わらないどころか、
「格差拡大」へ向けて加速している。
そういうことなのかな。
「時間」が「お金」で買えるようになったら、
「時間」も同じように、
「お金」のある人のところに集まるのだろう。
いや、そうとは限らない。
「終わりの時」
それがいつ来るのかは人によって違うのだ。
いくら「時間」を「お金」で買い集めたところで、
そもそも手持ちの「時間」は不平等なのだ。
100年生きる人もいれば、
50年で死んでしまう人もいる。
先のことはわからない。
だから「時間」にどれだけの価値を見出すかは、
個人の価値観に委ねられる。
そう考えると、
「時間を買う側」と「時間を売る側」
格差があるように見えても、
その間に釣り合いは取れているのかもしれない。
「やりたいことがたくさんある」
だから時間の価値は高い。
「時間を持て余している」
だから時間の価値は低い。
ただそれだけなのだ。
お金に対する価値観も同様だろうか。
結局は個人が何に価値を見出して、
どのように生きるのか。
指先一つで億万長者に上り詰めた人もいる。
寝る間を惜しんで働いても生活が豊かにならない人もいる。
ある人は「時間」も「お金」も持て余している。
ある人はどちらも足りずに困っている。
資本主義だからさ。
仕方のないことなんだろうけれども、
もっと分かりやすく経済的な損得について、
社会の仕組みについて教育が行われていれば、
こういうことにはならないんじゃないのかな。
国が国民から搾取するために、
敢えて国民をバカにしていると思うのは私だけだろうか。
携帯電話通信会社のわかりにくい料金体系、
国総出であれを行なっているようなものだ。
無料通話をオプションにしたら、
「わかりづらい」と批判した大臣がいたけれど、
国民からしたら国の制度の方が「わかりづらい」
悪用する輩を撲滅して、
もっとシンプルに制度を実施することができれば、
「お金」も「時間」も格差は少なくなるんじゃないかな。