「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ソシャゲ」との付き合い方を考えないといけない

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前にも記事にしたけれど、

去年の自粛期間からテレワークが増えたものだから、

生活の効率化を進めた結果、

独身で相手もいない私は時間を持て余すようになった。


更に休日は人と会う機会が極端に減ったものだから、

空いた時間を埋めるために、

Amazonプライムで映画やアニメを漁りだしたり、

友人に誘われて「ソシャゲ」を始めたりもした。


「ソシャゲ」

 

いわゆるソーシャルゲームのこと、

みんなが電車なんかでスマホ片手にピコピコやっているあれだ。


空き時間を活用して、

スマホで手軽に人生が進んでいる感覚を得られる、

そして大抵の場合、

その努力が報われるという素晴らしいツールだ。


結果として、

「リアル」よりも「ゲーム」に存在価値を委ねて、

際限なく課金したり時間を費やして、

バーチャル空間に自分の「居場所」を見出す。


そんな依存性の高いものでもある。

随分と前から社会問題の一つとして取り扱われている。


「リアル」は報われない努力ばかりだから、

「ゲーム」に時間とお金をかけて報われたいと願う。

だから大抵のソシャゲは努力は報われるシステムになっている。

 

コツコツ貯めた無料のアイテムでガチャを引き、

たまに「人権キャラ」と言われる、

持っていないとまともにゲームを進められないようなキャラを引いては、

脳内物質をドバドバと分泌して悦に浸る。

おそらく「その瞬間」のために努力しているのだ。


そうやって「射幸心」を煽ることで、

「中毒症状」を生み出して課金させていくという、

良くできたビジネスモデルだ。


今ではゲーム専用機の市場を凌駕して、

大手会社も当たり前のように参戦している。

それを原資にプロ野球球団を持つ会社まで現れるという、

いわば「ドル箱産業」だ。


多分に漏れず、

私も「リアル」が全く進まないものだから、

課金はしていないけれど、

徐々に「ソシャゲ」に「時間」を費やすようになる。


そしていつしか、

「楽しむ」ために始めたはずなのに、

「追い立てられる」ように続けている。


どこかで目にした記事によると、

適度に「課金」する人よりも、

無課金」にこだわる人のほうが依存性が高いらしい。


私はケチなものだから、

無料で楽しめるゲームに課金しようとは思わない。

だから時間をかけることでギャップを埋めようとしている。


その結果として、

客観的に見たらお金をかけるよりも、

随分とコスパの悪いことをしているのかもしれない。

 

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私がしている「ソシャゲ」は、

大手ゲーム会社の有名ブランド、

ランキングでも上位に来るようなものだ。


私は「ソシャゲ」を何度か辞めたり始めたりしている。


大抵は仕事が忙しくなったり、

生活サイクルの変化に伴い継続困難となるか、

ゲーム要素が複雑になったり、課金必須の状況になったり、

ゲーム環境の変化についていけなくなり辞めている。


今回のゲームは1年くらい続けている。

今の地位を保つには課金必須に近い状況になってきたものだから、

そろそろ嫌気がさしてはいるのだけれども、

今のところは機械のように毎日ピコピコと続けている。


時間はそれなりにかけたし、

ガチャの引きも悪くなかったものだから、

無課金の割には」かなりいい線行っている。

十分に重課金者の射幸心を煽るための養分にはなるくらいだ。


私はお金にシビアだから、

この先のステージに進んだことはないけれど、

人によっては月に何十万も課金するらしい。


本当によくできたビジネスモデルだ。


お金は余っているところにはたくさん余っていて、

そういう人ほど優越感に浸るのが好きなのだ。

 

競争を勝ち抜いてきたからこそ、

競争に対してポジティブな印象を持っているお金持ち、

その闘争心を駆り立てることで集金する。


ある意味では「お金」と「時間」を投資して、

その「優越感」を獲得するための戦場、


そこに自分の存在価値を委ねてしまうと、

なかなか抜け出すことができなくなってしまう。


私にしたところで、

無課金」という属性を盾にして、

「時間」を費やして「よくやっている」と悦に浸る。


「お金」はかけなくても、

「時間」はたくさんかけている。


「Time is Money」


損をしていないように思っているけれど、

嫌気がさしながらゲームをしていること自体、

おそらく損をしているのだ。


少し深く足を踏み入れすぎているのかもしれないな。


ゲームやアニメに漫画、

どんどん費やす時間が増えてインドアになっている。


社会的には褒められた休日の過ごし方なのだろうけれど、

かつては休日に予定のない日の方が珍しかった私、


どんどん人との接点は減っていき、

どんどん婚期を逃していく。


大丈夫か?わたし、


日課のようにピコピコとゲームをして、

朝のノルマを終えたあたりでふと我に返ると、

大きな虚しさを感じてしまう。


何度も書くけれど、

とてもよくできたビジネスモデルだ。


リアルは何も進んでいなくても、

ゲームの中では強くなっていく。

これは「こっち」に軸足を置いて生きる人が出てくるわけだ。


望む将来があるのならば、

「ソシャゲ」との付き合い方を考えなければならないな。