何度も書いているけれども、
私は基本的に、
仕事は「自分のためにすればいい」と思っている。
会社にしがみつく時代ではない。
社会人として自分が「どう力をつけていくか」
その視点の元で業務に当たらなければ、
いつ淘汰されてもおかしくないと考えている。
だから、人と比べてみると、
「仕事」と「自分」を割り切っているほうなのかもしれない。
対価に見合う労働力を提供していて、
周りに度し難い迷惑をかけるクラッシャーにならなければ問題ない。
もちろん面白い人とは関わるし、
仕事をしやすくするためのコミュニケーションは積極的にとるから、
周りからは社交的に見えるかもしれないが、
内実はかなり割り切っている。
最近の若手は概ね、
そのような考え方で働いているのだろう。
少なくともコロナ禍までは、
売り手市場が続いて、
あまり苦労せずとも就職できた。
それも一因なのかもしれない。
SNSの発達により、
「パーソナリティは肥大化した」
話を聞いていてどこかエゴイスティックな面が目立つ、
自己完結型の若者が増えたように思う。
何かを教えていると、
「なるほど」を口癖にして、
あたかも腹落ちしたかのように見せて、
その実、あまり理解していない。
教える側からすれば、
「なるほど」の内容まで踏み込んで確認しないといけないのだ。
「わからないこと」があったら、
あとでGoogle先生にでも聞いておけばいい。
大抵のことはそれで解決してきた。
若者からすれば、
おそらくそれくらいの腹積もりなのだろう。
そうやって自己判断して先に進み、
方向性がズレて問題に発展しそうでも、
「ネットで調べたらこうでした」だなんて、
悪びれもせずに平気で言う。
挙句の果てには、
「ちゃんと教えてくれなかったほうが悪い」
とは言わないけれど、
そういう態度を醸し出す。
自分に「非」があることを認めたくないのだ。
そうやって、
「自分さえよければ良い」という、
モンスター社員が生まれる。
個としては仕事ができたとしても、
周りから顰蹙を買うような仕事の仕方をしていたり、
共同作業を後回しにしてスケジュールを遅らせて、
目立つ仕事にばかり注力したり、
確かに「仕事は自分のためにすればいい」
だけれども、
「全体の優先順位」や「組織の利」を念頭に置かないと、
結局は「自分のため」にならないんじゃないかな。
表向きは調子よく、
裏では興味のあることしかやらない。
本人は気が付かなくても、
周りは見ていないようで見ているから、
どんどん信用を失っていくのだ。
関わる機会があったところで、
それを織り込み済で進めるから、
それでいいんだけどさ。
なんでも人任せで学ぼうともしない。
責任を取るつもりもない。
そういうのって、
ちょっと気持ちが悪い。
それが許される環境に身を置いていると、
それが当たり前になってしまう。
最近のビジネス書を紐解くと、
「フラットであること」をやけに強調するものが多い。
でも、その中にも上下関係は存在して、
他の人の仕事から学ぶものはたくさんある。
仕事を「自慰行為」か何かと勘違いしている人とは、
あまり関わりたくない。
そういう行為は一人でこそこそと、
見えないところでしていて欲しい。
気持ちが悪いから、