「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「便利な時代」だからこそ「無駄なこと」に誠意が宿る

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私は割と「効率厨」だ。


基本的には合理的なことを好み、

それが「行動規範」として占める割合は高い。


世の中はどんどん便利になっていき、

手軽に人とつながることができるようになった。


その反面で、簡単に人を切ったり、

あるいは切られたりすることが可能となる。

だから人は上辺だけの関係に疲れ切って、

どこか「精神的なつながり」を求めているのだ。


「誠意の伝え方」


ある意味では、

代用できない自らの資産を提供すること、


「お金」だと「けれん味」が効きすぎているから、

誰もが人生にベットしている「時間」を差し出すことがそれに当たるのかな。


言語化してみるとどこか不誠実だけれども、

人は多くの場合「賭けた時間」に比例して、

その対象への愛着を増していく。


そして多くの場合、

それは相手にも伝わる。


前置きが長くなったが、

「あらゆることが手軽に済む時代」


だからこそ「手軽に済ませない」

そのことが効いてくる。

「誠意」として伝わるのだ。


「無駄なこと」と切り捨ててきたもの、

例えば「手紙」だとか「手作りの贈り物」

 

便利であればあるほどに、

「ここまでしてくれるのか」って、

いい意味で期待を裏切る武器になる。


相手に何かをしてもらうためには、

相手の心を動かさなくてはならない。


だから利害関係を除いた時に、

「いい意味で期待を裏切る」必要があるのだ。


「便利な時代」だからこそ感じる、

「無駄なこと」の大切さ、


私は色々なことを最適化しようとしすぎているのかな。

 

どこか割り切っているきらいがある。

誠実で在りたいと思うけれども、

精神的な意味で誠実ではないのかもしれないな。


無機質で血の通っていない繋がり、

「不要なこと」は排除しようと努めるからそうなる。


「無駄」だと思うことにも、

「無駄」はないのだ。


世界はどんどん無機質なほうへと進んでいく。


みんながみんな「和」を第一に据えて、

みんながみんな「判を押したように」互いを尊重して、

みんながみんな「同じ答えを導き出す」のだ。


「無駄」の中に宿る生命の芽吹き、


人が人であるためには、

「無駄を愛すること」が必要なのかもしれない。