「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「セルフブランディング」を加減することの難しさ

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ここ最近意識していること、

「セルフブランディングしすぎない」ということ、


私は割と「ギャップ萌え」を狙っているところがある。


外見はカチッとしているけれど、

「甘いもの」や「可愛いもの」が大好きだ。


そうは見えないけれど、

「頭の中お花畑で純情な乙女」

そういうところが年上のお姉さまたちにウケるのだろう。


少々のスパイスとして、

自分の失敗や間抜けなところを楽しそうに話してみれば、

「親しみやすさ」はグッとアップする。


どうやら私は、お姉さまたちから見ると「かわいい」らしい。

私に相手がいないことは不思議なようだ。


「セルフブランディング


言わば自分を自分で作った型にハメる作業、

世渡りする上で大いに役に立つものだけれども、

あまりに型にハマりすぎると知らずのうちに「心を蝕んでいく」


多くの「便利なもの」と同じように、

「諸刃の剣」的な側面を持っているのだ。


まずは自分の性質を知らなければならないんじゃないのかな。


それとあまりにもかけ離れすぎていると、

きっとどこかで「歪み」が生じてしまう。


少しの圧力だけでつぶれてしまうような脆弱さ、


「歪み」に気が付かないということはさ。

その「脆弱さ」を内在していることに気が付かないということ。


私の性質、


おそらく「乙女でお花畑」

そのあたりが本質を突いているのだろう。


甘えん坊で寂しがり屋、

優しいことだけが取り柄の頼りない男だ。


色々なことを難しく考えて、

それを「誠実さ」にすり替えて、

「臆病な自分」をカチッとした外見で隠している。


だからそういう「掴みどころの無さ」とでも言えばいいのだろうか。

懇意になろうとする女性たちはそこに不安を感じるのかもしれない。


「ますをは超自我に支配されすぎているよね」


カウンセラー目指していた友人から前に言われた言葉、

専門学部で学びソーシャルワーカーの現場研修まで受けていた友人だ。

思うところあって今は別の道を歩んでいるのだけれども、


何気ない一言だったが耳に残る。

どこか針のようなものでツンツンと、

弱い力ではあるが本質を突かれたような気がした。


超自我


「自我」よりも先にあるもの、

即ち「社会性」と言い換えてもいいかもしれない。


社会的規範に照らし合わせて、

「こう在るべき」だとか「こう在らねばならない」だとか、

そういう「義務を果たすこと」に縛られているということだろう。


ブログ執筆を重ねてきて、

だいぶそういう要素が薄くなっている実感はある。


自己分析では「パニック障害」発症の原因は、

この「超自我」と「無意識」の間における自己矛盾、

そこにあったと思っている。


私が作る「私らしさ」と、

私の本来の性質である「私らしさ」

そこに大きな乖離があったのだろう。


だから急に不安を司る「偏桃体」が暴走しだした。


根源的な「人間存在」としての私、

あまりにも外見を固めすぎて、

その「居場所」がどこにもないことに気が付いてしまったのだろう。


多くの人が抱える「漠然とした不安」

もしかしたらその正体はそこにあるのかな。


この「漠然とした不安」は現代病だと言われているけれど、

人が「見られること」を意識しすぎて、

多くのペルソナを被り分けた結果なのかもしれない。


そうこうしているうちに、

「自分の本質」がわからなくなるんじゃないのかな。

 

「他人の期待に応え続ける」よりも、

「自分の人生を愛すること」のほうが大事なはず、


軸足の置き場所を間違えてしまうと、

大変なことになってしまう。


気をつけなければならない。