実家の近くにあった「レンタルビデオ屋」の話

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閉店してから、もう10年くらい経つのだろうか。

私の実家から徒歩1分くらいのところにレンタルビデオ屋があった。


TSUTAYA」とか「GEO」という有名店ではなく、

一応チェーン店だったもののそこまで規模の大きくない店だった。


確か私が高校の頃に開店をして、

少なくとも大学を卒業するまでは続いていたから、

その店は私の青春の1ページを彩るには十分な役割を果たしていた。


好きになったバイト先の女の子と足繁く通った店、

プロフィールに載せている「恋愛遍歴」という記事にも登場している。

 

tureture30.hatenadiary.jp


BUMP OF CHICKEN」を好きだった彼女の影響で、

私はそこの店で全てのアルバムを借りて聞いた。


きっかけは「話題作り」だったのだけれども、

気が付くとその歌詞と音の外し方に魅了された。

今でも最高のアーティストの一人だと思っている。


結局その子とは交際にも至らずフラれてしまったけれど、

彼女との出会いは、私の人生に「BUMP OF CHICKEN」を残してくれた。


他にも思い出はたくさんある。

暇だからとりあえず通っては何も借りずに帰ったり、

100円セールをするたびに大量にDVDを借りては見切れずに返却したり、

見たい新作がいつも借りられていて何度も通ったり、

店長が割引券の有効期限をおまけしてくれたこともあったっけな。


今の環境は少し足を延ばさないとレンタル店はないものだから、

通う頻度は格段に減ったけれど、

徒歩1分のところにレンタル店があったことは、

私の青春に少なくない影響を与えている気がする。


今では当たり前のようにストリーミングで新作を見られるけれども、

当時はまだサブスクなど大々的にサービス展開されていない時代だ。

文化に触れたければ足を延ばさなければならない。


だから簡単に文化に触れられる環境だったこと、

ふと振り返ってみて「ありがたいことだった」のだと感じる。


それと同時に去来する「今は便利になったのだな」という切なさ、


今のレンタルビデオ屋は販売込みの複合施設、

大手は宅配レンタルなどのサービス展開をして生き残りを図っている。


「人が動かなくなり物が動く時代」

そして「簡単に情報にアクセスできる時代」

時代は移り変わっていく。


私は本屋もレンタルビデオ屋も好きだ。


小さい画面の中から選ぶのではなく、

「文化の宝石箱」に身を投じて、

「思わぬ出会い」から「思わず手に取る」

その時に商品から伝わる質感、


商品を手に取ってからの借りるか、やめるかの葛藤、

そして借りた後に手提げ袋をブラブラさせながら家路につくときの高揚感、


私にとっては、

それも含めて「文化に触れること」


自粛になってからはAmazonプライムの住人となり、

映画やアニメを漁る時間が増えたものだから、

格段に文化に触れる量は増えたけれど、

「作品の一つ一つと真摯に向かい合っているか」と問われると、

そうとは言えないと感じる。


ある種の「狩り」と同じで、

店まで足を運んで、頭を悩ませながら商品を選んで、

それを手に入れる過程もまたスパイスとなるのかな。


少々薄味の「文化」を大して咀嚼せずに飲み込む。

「大量生産・大量消費」の象徴のようだ。


こういうことをしていて「文化」は育つのだろうか。

「つくり手」まで消費されていかないだろうか。

そんな不安を感じてしまう。


そういえば、

アプリで出会った映画好きの女性が言っていた一言、

「私は映画を見る2時間は、それ以外のことは考えたくないんです」

そう言われて、提案した映画館でのポップコーンもドリンクも却下された。


「空気読めよ」と思ったけれど、

「文化」と向き合う彼女の姿勢は正しかったのかもしれない。


そして、

その日を最後に彼女と会うことはなかったということは、

「空気を読めなかった」のは私の方だったのか。


それはさておき、

サブカル好きを自称してブログで作品評を書く身としては、

「インプットの味付け」も意識したほうがいいのかもしれない。


思い出の奥底から、

ふと私に語りかけてきた「レンタルビデオ店


「なつかしさ」を運んでくれただけではなく、

今の私の「在り方」を問うているのかもしれない。