3年もブログを書き続けているものだから、
ある種の「エンターテイナー」としての血が騒ぐのか。
長いこと文章を書き続けていると、
どこか「読者」の望む方向へと筆を進めていることがある。
あとから読み返してみると、
「事実に基づいた記載」ではあるけれど、
「私が捉える事実」あるいは「周りの当事者が捉えたであろう事実」とは、全く印象が違うだろうなと思うことがある。
どこか「いい話」にしようとしているのだ。
「身バレ」を防ぐためには効果的だろう。
ある意味ではそれを狙って意図的に設定を変えているところもある。
だけれども私、
ブログに登場する私は「いい人すぎないか?」って思う。
私はそんなに「いい人」ではない。
付き合ってもいなかったのに「二股かけられた」と、
その相手を嫌い続けているようなカスだ。
おまけに女性の胸ばかりを見ている変態だ。
いや、私が変態なことは文章からもわかるか。
「儚さ」や「純粋さ」
ブログではどこかそういう衣をまとっている私、
実際のところはどうなのか。
「強か」で「傲慢」かもしれない。
それでいて「相手の痛み」に寄り添うつもりのないサイコパス、
実際の私は周りからそう見えているかもしれないのだ。
ブログでの私は、
あくまでもセルフイメージを膨張させた結果、
そういうものなのかもしれない。
書けば書くほどに、
「自分の本質」と言うものが分からなくなる。
これはただの「文化的な雪かき」で、
村上春樹さんの書かれている通り、
「書くこと」でどこかにたどり着くことはないのかもしれない。
それでも私はブログの中の私のことを気に入っている。
3年も共に過ごしたのだから愛着が湧いてくるものだ。
どこにも辿りつかなかったとしても、
何かしらの意味はあって、
「書くこと」によって私は私に対する好感度を上げているのかな。
だから「いい人」に描きたがる。
見栄でも何でもない。
それはとても自然なことなのかもしれない。