「怖いもの」がなくなってきたという感覚

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イライラすることは多いけれど、

なんだか最近「怖いもの」がないような感覚がある。


これは「過信」なのか「自信」なのか。

はたまた「諦め」なのか。


約5年前にパニック発作を起こしてから、

世界の見え方が変わってしまった。


発症する直前の私は「大きな責任」をいくつも抱えていて、

そのすべてに真正面から向き合っていた。


その少し前は「嵐の前の静けさ」というか、

今と同じように「怖いものなし」の感覚があったことを覚えている。


今は2回目の「嵐の前の静けさ」なのか。


それは先になってみないとわからないけれど、

用心はしなければならないと感じている。


「努力ではどうにもならないこと」を身をもって知った。


精神的にも肉体的にも1度ずつ死にかけて、

今この場所にたどり着いている。

5年前とは環境は驚くほど大きく変わった。


物事を疑って見る癖がついた。

全ての人に「誠実」である必要はないと学んだ。


ボロボロになりながらも、足を引きずりながらも、

傷口から血をぽたぽたと落としながらも、

私なりに「やるべきことをやり続けて」ここまでたどり着いた。


自律神経がバカになってしまったものだから、

常に不安定な体調と精神状態を飼いならして過ごしている。


ここ最近はその波も少し落ち着いてきたように思う。


私の今の心境は何なのだろうか。


単純に季節の織り成すイタズラなのだろうか。

それともポルノを断っている効果なのだろうか。

何か新しいことが始まる予感なのだろうか。


あまりにも人生が先に進まないものだから、

私の無意識はここに留まることを決めて安心しているのだろうか。


どこか不思議な感覚、


気のないやり取りを続けている女性は、

会う約束をしようとするとはぐらかす。

そのくせやり取りは続いている。


あまり気乗りはしていないのに、

私を逃すともう相手がいないかもしれないという不安から、

仕方なくやり取りを続けているようだ。


「どうでもいいな」


私はそう思いながらも「誠実」に見える仮面を被ってメッセージの送り続けている。

私にしてもやり取りする相手がいるだけマシだ。

そうやって互いを都合よく使っているのだ。


男は女を「性欲」を解消するための道具として、

女は男を「不安」を解消するための道具として、

それぞれ都合よく使っている。


私はそこに対する嫌悪感が強いものだから、

「誠実」という仮面を被って女性と接してきた。


仮面の下には下卑た感情が隠されているのに、

それを過剰なまでに理性で抑圧し続けてここまできた。


それではうまくいかないことはわかっているのに、

そのやり方しか知らないものだから、

それをし続けてチャンスを逃してきた。


もう疲れてしまったよ。


都合よく扱われるのならばさ。

私も都合よく使えばいいのかな。


もし会う機会があるのならば、

今度は少し雑に扱ってみようか。

女性は子供みたいに扱うくらいがいいとどこかで見た気がする。

未就学の姪と同じくらいに扱うのがちょうどいいのかもしれないな。


もうどうでもいい。

どうせ今までのやり方ではうまくいかないのだ。


今の私に「怖いもの」はない。