随分と前の話だ。
私が社会人になって何年も経っていなかった頃だと思う。
高校の同級生だった友人が仕事を辞めた。
メンタルをやってしまい精神科に通っていたらしい。
とりあえずは実家に戻ったので生活はできていたみたいだけど、
お金に困っているらしく外食するととにかく「一番安いもの」を頼む。
ファミレスに入って私は普通にランチをするのに、
昼を食べていない友人はドリンクバーとポテトだけだったりした。
見かねた私は「今日は出すから飯食いなよ」といって飯を奢った。
そういうことが何度かあっただろうか。
行く当てもなくぶらりとしながら、
「世界の正体」やら「人間の本質」について語り合う。
その友人は生きている日数よりも多くの冊数の本を読む「読書家」だったから、
「世界の底」が見えてしまい絶望していたのかもしれない。
妙に厭世的なペシミストだった。
食事に興味はないくせにタバコだけはやめられない。
会うたびにふかしていた。
「受動喫煙による直接的な健康被害を受けるからやめてくれ」だなんて、
冗談交じりに話したりしていたけれど、
「金がない」と言いながらもタバコを吸い続ける彼に私は違和感を感じていた。
そういう感情があったものだから、
タバコが切れて「金を貸してくれ」という彼に対して、
私はどうしても貸す気にはなれなかった。
「ちゃんと返すから」とせがむ彼、
飯を奢ってくれるくらいだから、
「お金を貸す」ことくらいなんでもないと思っていたのだろう。
何度頼まれても断る私、
「俺が返さないと思ってるんでしょ」との一言にめんどくさくなった私は、
彼に1000円札を渡すとそのまま「好きにしろ」と言って帰った。
あの時の気持ちは何だったのだろう。
相手のことを思っての行為なのか。
それとも私のエゴだったのか。
彼とは色々あったけれど、
しばらく会ってはいないが友人関係は続いているし、
彼も就職して普通に働いている(少なくとも最後に会った時は)
今では条例による罰則の効果なのか、
歩きたばこはめっきりと蹴ったけれど、
10数年前はまだ寛容だったのかな。
タバコをふかしながら小難しいことを並べ立ててぶらぶらと歩く彼の姿、
ふと脳裏に蘇る。
私がまだ理想に燃えていた頃の話だ。
なんとも懐かしく思う。