心のどこかに穴が空いていると、
それが些細なものであったとしても、
まるでそれがブラックホールであるかのように、
思考はその「空いた穴」に引きずり込まれていく。
これを「マインドブラックホール理論」とでも名付けようか。
足りないところにばかり目を向けて、
満たされているところは目に入らない。
人は「都合の良い生き物」だから、
恵まれていることが続くとそれを当たり前だと思うようになる。
最初は幸運に感謝をしていても、
いつしかデフォルトに書き換えてしまう。
そして、またどこか「足りないところ」を探し出すのだ。
それを見つけては「満たされない」「満たされない」って、
まるで自分が悲劇の主人公であるかのように振舞う。
時には自ら心を針でツンツンとでも突きだして、
そこに空いた「穴」を、あたかも元からあった穴だとでも主張するかのように喚きだす。
「満たされない」「満たされない」って喚き出すのだ。
ご丁寧に「言葉」にはせず、
「嘘はついていない」だなんて予防線まで準備して、
「満たされない」「満たされない」ってさ。
周りの関心でも惹きたいのだろうか。
それともそこにしか「居場所」がないのだろうか。
悲劇の主人公なんてものは、
努力しなくても望めば簡単に手に入る「居場所」だからって、
何もないよりはマシだから「私にはこれしかないの」って、そこにしがみつくようになる。
まるでそれが「自分の価値のすべて」であるかのように、
「満たされない」「満たされない」って、
「幸せ」探して彷徨うゾンビのようだ。
手の届く範囲でばかりいくら探したところでさ。
もうそこは随分前から何度も探しているはずだ。
何もしていないと不安で押しつぶされそうだからってさ。
何度も同じところばかり探すふりをして、
むやみやたらに時間を浪費する。
一般的に人は「時間を費やしたもの」に対して執着するようになるから、
心に空いた「穴」はどんどん勢力を拡大して「思考の大半」を吸い取っていく。
「自分と向き合っている」ようでさ。
「自分と向き合ってなんかいない」んだよ。
ただただブラックホールに吸い寄せられているだけ、
思考の大半を吸い取られて卑屈になっている暇があったらさ。
少しは今までとは違う体の動かし方をしてみればいい。
同じように生活して、同じように思考を縛られて、
そうこうしているうちに人生は終わってしまう。
パラダイムシフトは自分で起こさないといけない。
奇跡を待っていたところで多くの場合、奇跡は起こらないのだ。
結局は「自分」になりたかったら、
他の誰でもない「自分」になりたかったら、
そのためにとことん努力をしなければならない。
何でもいいから「居場所」が欲しいだなんてさ。
そういう了見だからいつまで経っても満たされないのだ。
少しでいい。
少しずつでいい。
行動を変えてみよう。
望む方向から遠ざかってもいい。
日常を変えてみるのだ。
「代わり映えのしない日常」
そこに嫌気がさしているくせにさ。
何も起こそうとしないで、誰かが変えてくれるのをじっと待っている。
お高く止まっちゃってさ。
「自分は人一倍頑張ってきた」ってさ。
過去の栄光にばかりしがみついてさ。
自分で何かを掴み取ることを忘れてしまったのかな。
「満たされない」ってそれは当たり前だ。
現れるかもわからない誰かに頼ってばかりで、
変えてくれるかもわからない出来事を待ってばかりで、
自分の人生を人任せにしているのだから、
どこまでいっても、いつまで経っても、
自分の人生の責任は自分で取るしかないのだ。