「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「孤独」の本質を探る

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自分がどうしようもなく「無価値」に思えてくる。

特に自粛となってからは「真面目な人」ほど孤独を感じやすいのだろう。


「言いつけをしっかりと守る」


そういう人生を歩んできたものだから、

社会の方針に対して従順なのだ。


「少しくらいは大丈夫」って考えでさ。

街に溢れている人たちの姿を見ては憤りを感じて、

反面、しばらく友人と会っていないものだから、

改めて予定を入れることも億劫に感じる。


「予定がないこと」を、「人生が先に進まないこと」を、全部コロナ禍のせいにしてさ。

「今は時期が悪い」だなんて口癖のように宣う。


人の粗ばかりを探すことで、

何も行動を起こさない自分を慰める。


「おとなしくしている自分」は正しいんだって、

「楽しそうなあいつらは非国民だ」って、

そこに「居場所」なんかを求めてさ。


結局は臆病なだけなんでしょ。


本当に信念をもって自粛しているならば、

周りのことなんか気にしないはずだ。

こういうご時世でも自分の「居場所」を見つけて楽しく過ごしているはずだ。


行動が制限されていたってさ。

「何も変えないこと」を選択しているのは自分自身、


「孤独」ってものはさ。

「行動して失敗した先にあるもの」


もしかしたらあったはずの「幸せ」に思いを馳せて、

失敗した自分を許せずにいるから「孤独」を感じるのだ。


何も失っていない人は「孤独」を感じないし、

誰かと比べない人は「孤独」を感じない。


失敗したかもしれないけれど、

一度は立ち上がって「挑戦した人」にしか、

「孤独」ってものは訪れないんじゃないのかな。


「寂しさ」「惨めさ」「喪失感」

そのどれもが「挑戦者」であった証、


だから存分に噛み締めればいい。

そこから出てくる「苦い汁」の味を存分に味わえばいい。


結局は「孤独」と言うものを飼いならさないと、

「満たされること」などないのだ。


誰かの評価に怯えながら生きて、

誰かと比べて劣っていることに惨めさを感じて、

誰かと一緒にいないと不安で不安で仕方がなくて、

いつまでも「孤独」に怯えて生きるようになる。


だから「孤独」を強く感じている時こそ、

「孤独」を飼いならすためのチャンスなのだ。

 

その日暮らしでチャランポランに生きている人達よりも、「孤独」を噛み締めながらもその中に「居場所」を見出した人の方が魅力的に映る。

 

せっかく生きているのだからさ。

どこまでも主体的でありたい。

「孤独」であることに対しても主体的でありたい。


ネガティブな感情にばかり引っ張られないで、

長い目で見て人生を謳歌したいものだ。