5月は「心の調子」がよくないことが多い

f:id:tureture30:20210511061638j:image

 

時期的なものなのだろうか。

最近あまり調子が良くない。

思えば5月は調子を崩すことが多いように感じる。


パニック発作を起こしたのは5年前の5月だった。


あの時のゴールデンウィークは確か、

友人たちと小旅行に出かけていた。


『青天を衝け』でも出ていた絶壁で有名な山、

そこら辺を散策していた覚えがある。


その時から咳が止まらなかった。

「花粉かな」とあまり気にしていなかったけれど、

あれが予兆だったのかもしれない。


その時のことを思い出すのか。

5月はなんだか調子が悪いことが多い気がする。


あくまでも「気がする」なのだ。

私は私に暗示をかけて「5月」を恐れるように仕向けているのだろう。


用心するに越したことはないけれど、

無駄にマイルストーンばかり置いてしまうと、

どんどん生活は制限されていく。


「あの時はああだった」だとか、

「この時はこうだった」だとか、

そうやって人は過去に縛られるのだ。


日記をつけていると、

1年前のこの時期はどうだったとか、

2年前はどうだったとか、

たまに読み返すことがあるけれど、

「良い思い出」のほうが少ないものだから、

生きる活力に変わることは少ない。


「幸福度を上げるための方法」として、

一日の最後をポジティブで閉めるというものがあるらしい。


私は私を騙すために、

ポジティブなことばかりを日記に書き連ねたほうがいいのだろうか。


私は自分で自分のことを憐れんでいる。

いつまで経っても自分のことを認めてあげられないのだ。


だから満たされている部分があるはずなのに、

「不幸」にばかりしがみついて、

「報われる日が来るはずだ」って、

「今よりもっと良くなるはずだ」って、

不確かな希望にすがる。


どこかのタイミングで自分は劇的に進化して、

何もかもがうまくいく未来が待っているはずだって、

そんな都合の良い夢を見ているのかな。


「希望」


それは生きるために必要なもの、


客観的にはどんなに恵まれていたとしても、

人は「欠落感」を抱えながら生きているのだ。


だから、足りないところを埋めようと躍起になる。

おそらくそれが人生というものなのだ。


そうやって人は「先に進んでいる感覚」を求めて、

積み上がる数字の魔力に魅せられていく。


収入やゲームや経験人数、

年齢をメインのバロメータとして、

人と比べて自分がどの位置にいるのか。


それが人生を先に進めているわかりやすい指標だから、

そんなことばかりを気にして生きているのだ。


「平均より上であればいい」


「平均」だなんて、そんな不確かなものに踊らされて、

「数字」に人生を委ねているのだ。


それを手放さない限りは「満たされること」なんてないのかな。


長い連休が余計なことを考えさせるのだろうか。

5月はあまり調子が良くないことが多い。


今年の5月は違うものにしたいと思うのだけれども、