私はかれこれ1000日以上も毎日こうして記事を書き続けている。
その多くは自分の内面を言語化したものだ。
日常的に「浮かんだ言葉」をスマホのメモに書き留めておく。
時間があるときにそれを膨らませて形にする。
そういう作業を繰り返し続けてきた。
いわゆる「メタ認知」
そういうものが癖になったものだから、
私はどこか私のことを「別の誰か」のように見ていることがある。
「私の人生」という名の劇に登場する人物、
そういう感覚が強くなっているのかもしれない。
「書き続けること」でアウトプットのスキルは格段に上がったように思う。
文章だけでなく会話の方も言葉がスムーズに出てくるのだ。
今流行りの『呪術廻戦』の中で出てくる「黒閃」というもの、
呪術師が纏う「呪術」というオーラみたいなものと「打撃」による物理的な衝撃、
「呪術」の扱いは難しいらしく「打撃」から遅れて相手にぶつかる。
その遅延を限りなく最小限にすることで技の威力を2.5乗にまで高めるという概念らしい。
アニメを見ていて、これを聞いた時に私は思った。
「思考とアウトプットの関係」もまさにそうなんじゃないかって、
人は「頭で考えたこと」を「言語化」してコミュニケーションツールとする。
だからそれを「正確に早く」することができれば、
2.5乗かどうかは知らないけれど、それだけで強力な武器になる。
そのために必要な愚直なまでの反復演習、
「ブログを書く」というのは、それに当たるのかもしれない。
少なくとも私は「書くこと」を続けることによって、
「思考をアウトプットする速度」が上がった実感はある。
「書く」だけでなく「話す」にもその効果は及ぶ。
相手からの「問いかけ」を受けて思い浮かぶイメージ、
そのイメージを「こういうことですよね」と言葉で伝える。
相違があれば、イメージを修正して再度アウトプットする。
「意思疎通」なんてものは概ねその繰り返しだ。
その速度が上がるだけで効率は格段に上がるだろう。
人は生きていればそれだけで情報をため込む。
脳内には膨大なアーカイブが形成されているのだけれども、
それを自由自在に使いこなすことは困難だ。
埃を被らないように情報を出し入れすることで、
その情報は「すぐに使える状態」を保てるようになる。
「インプット過多」
その状態では使わない情報はその「在りか」さえわからなくなる。
せっかくたくさんの蔵書を抱えていても宝の持ち腐れだ。
私は「読むこと」に続き「書くこと」もライフワークとなった。
シンプルな響きだけれども、
それは人生を充実させるための有効な手段なのかもしれない。
人はそうやって生きてきたのだ。
これから先もそれは変わらないのかもしれない。