「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ブログを書くこと」が会話に及ぼす効果

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私はかれこれ1000日以上も毎日こうして記事を書き続けている。

その多くは自分の内面を言語化したものだ。


日常的に「浮かんだ言葉」をスマホのメモに書き留めておく。

時間があるときにそれを膨らませて形にする。

そういう作業を繰り返し続けてきた。


いわゆる「メタ認知

そういうものが癖になったものだから、

私はどこか私のことを「別の誰か」のように見ていることがある。


「私の人生」という名の劇に登場する人物、

そういう感覚が強くなっているのかもしれない。


「書き続けること」でアウトプットのスキルは格段に上がったように思う。

文章だけでなく会話の方も言葉がスムーズに出てくるのだ。


今流行りの『呪術廻戦』の中で出てくる「黒閃」というもの、

呪術師が纏う「呪術」というオーラみたいなものと「打撃」による物理的な衝撃、

「呪術」の扱いは難しいらしく「打撃」から遅れて相手にぶつかる。

その遅延を限りなく最小限にすることで技の威力を2.5乗にまで高めるという概念らしい。


アニメを見ていて、これを聞いた時に私は思った。

「思考とアウトプットの関係」もまさにそうなんじゃないかって、


人は「頭で考えたこと」を「言語化」してコミュニケーションツールとする。

だからそれを「正確に早く」することができれば、

2.5乗かどうかは知らないけれど、それだけで強力な武器になる。


そのために必要な愚直なまでの反復演習、

「ブログを書く」というのは、それに当たるのかもしれない。


少なくとも私は「書くこと」を続けることによって、

「思考をアウトプットする速度」が上がった実感はある。


「書く」だけでなく「話す」にもその効果は及ぶ。


相手からの「問いかけ」を受けて思い浮かぶイメージ、

そのイメージを「こういうことですよね」と言葉で伝える。


相違があれば、イメージを修正して再度アウトプットする。

「意思疎通」なんてものは概ねその繰り返しだ。

その速度が上がるだけで効率は格段に上がるだろう。


人は生きていればそれだけで情報をため込む。

脳内には膨大なアーカイブが形成されているのだけれども、

それを自由自在に使いこなすことは困難だ。


埃を被らないように情報を出し入れすることで、

その情報は「すぐに使える状態」を保てるようになる。


「インプット過多」


その状態では使わない情報はその「在りか」さえわからなくなる。

せっかくたくさんの蔵書を抱えていても宝の持ち腐れだ。


私は「読むこと」に続き「書くこと」もライフワークとなった。


シンプルな響きだけれども、

それは人生を充実させるための有効な手段なのかもしれない。


人はそうやって生きてきたのだ。

これから先もそれは変わらないのかもしれない。