「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「適度な緊張感」の重要性

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あまりにも「仕事」に人生を預けすぎると、

定年退職後に早い段階で認知症が進行するだなんて、

そんな考察もあるみたいだ。


なんだかわかるような気がする。


仕事がひと段落してからテレワークに入ったものだから、

手持無沙汰な時間が続いていた。


プライベートでも行動は制限されて、

ゲームをしたり、Amazonプライムを見たり、

同じことの繰り返しに飽きてしまった。


もともと私は「反骨心」で生きてきたタイプの人間だ。

加えて部活は体育会系だ。


「ボロクソ」にけなされたり、

「不甲斐なさ」に涙したり、

10代、20代はそうやって生きてきたように思う。


30代になってからの私、


そういう機会はめっきりと減ってしまった。

「自己正当化」がうまくなったのだろう。

「将来に対する諦めの気持ち」が増したというのもあるだろうか。


当たり前のことだけれども、

私は前よりも私の人生に期待をしていない。


だから「傷つくようなこと」は敢えて避けて、

「できる範囲」で人生を回すようになる。

その「できる範囲」の境界線は、おそらくこれからどんどん縮まっていく。


既得権益」さえ確保していれば、

それで十分に生きていけると考えるようになる。

そうやってどんどん自分を刺激から遠ざけてきたのだ。


だけれども少し状況は変わってきて、

ここ最近の私は意図して「緊張感」に身を晒している。


そうすると「退屈」を感じていたはずの日常にまで張り合いが出てくる。

「不甲斐なさ」を突きつけられて、「力不足」を痛感して、

ただ「傲慢」になっていただけ、


そんな自分に気が付くのだ。


人は環境が固まってしまうと、

その中で最適な行動を取るようになる。

その繰り返しの中で「うまくやれるようになる」のだ。


それは当たり前のことなのに、

それによって「自分には能力がある」と勘違いする。


少し隣のグループに入ってみたら、

自分の力など「全く通用しないこと」も珍しくはない。


それだけ「色々な人」がいて「色々な世界」がある。

漠然と知ったつもりになっていても「外から覗く機会」さえあまりない。


少し覗いてみるだけで、世界は変わって見えるんじゃないかな。

「ぬるま湯」につかってばかりいたら、そこから出られなくなってしまう。


少しばかりのスパイスが効いているだけで、

同じものを食べていても「食」は進むようになる。


「味変」というものは必要なのだ。


意図して「緊張感」に身を投じるだけで、

充実した日常を送れるのであればこんなに楽しいことはない。


だけれども気をつけなければならない。

道を間違えたら刺激を求めるあまり「不倫」なんかへとつながっていく。


「刺激が欲しい」って人の気持ち、

なんだか少しだけわかったような気がする。