2年前の夏だった。
彼女は梅雨とともに現れて、梅雨明けとともに私の元から去っていった。
「思い出はいつの日も雨」
会うときは決まって雨だった。
そんな映画の好きな「雨女」さん。
当時公開されていた新海誠さんの映画『天気の子』
あの映画のヒロインは「100%の晴れ女」
彼女とはなんとも対照的だと思ったことを鮮明に覚えている。
アプリでの出会い、
初対面から「こんなに話しやすい相手がいるのか」と心惹かれた。
その日の帰りにはお互いが自然と敬語ではなくなっていた。
別れ際に笑顔で手を振る彼女、
その姿に私の心は鷲掴みにされてしまった。
彼女の仕事の都合で2度目のデートまで少し間は空いたけれど、
電話をしたり、毎日メッセージを送り合い気持ちを深めていた。
ようやく決まった次の約束、
彼女の希望で、映画『アラジン』を観に行くことになった。
仕事終わりに待ち合わせ、
電話を耳に当てながら私の姿を見つけると、
「あっ、いた!」と嬉しそうに駆け寄ってくる彼女、
「仕事お疲れ様!疲れているのにありがとね。」と伝えると、
「仕事大変だったけれど、今日はますを君と会うのが楽しみだったから頑張れたの」とのこと、
その一言に私の心は満たされた。
少し緊張している私を横目に、何度も肩に手を乗せてくる彼女、
チケットを買い、それを渡すと「ずっと観たいと思ってたの」と無邪気に笑う。
どれだけ楽しみにしていたのかを語る彼女、
その姿を見つめていると、映画の幕は上がった。
隣に座る彼女の熱や息づかい。
時折漏れる笑い声や驚く声、
彼女の存在を少しでも感じていたくて、
私の意識は前のスクリーンではなく、
彼女の座る右隣に向けられていた。
『アラジン』の雰囲気も相まって、
私の気持ちは盛り上がっていく。
2度目のデート、
タイミングとしては少し早いけれど、
「今日、気持ちを伝えよう」
映画を見ながらそう心を固めた。
映画が終わるとお互いに感想を話しながら、
「手を出して」と切り出す私、
差し出された右手をパッと掴み、
そのまま歩き出そうとすると、
「どういうこと?」と返す彼女、
「手を繋ぎたいと思って」と返す私の言葉に、
「そうだね」と歩調を合わせてくれた。
段差違いのエスカレーター、
一段先に乗っかる私の隣に、
トンと一段降りてきてくれた彼女、
繋がれた手と手、
そこから伝わる温もり、
映画館を出たタイミングで信号待ち、
一度恥ずかしそうに手を離す彼女、
横断歩道を渡ったところでもう一度手を繋ぎ直す。
お互いの指の間に指を滑り込ませる「恋人繋ぎ」
私が彼女に最も近づいた瞬間だった。
心も、そして体も、
駅が見えてくる。
このまま二人の時間は終わってしまう。
言おう。次のチャンスはないかもしれない。
言おう。言おう。ここで言おう。
意を決して切り出す。
「付き合ってもらえませんか?」
ベンチに座り向かい合う二人、
真剣に私の目を見つめる彼女、
「まだ会ってから1ヶ月だけれども、いい加減な気持ちではないよ。
将来のことも考えて付き合ってもらえませんか?」
改めてそう伝えると、
「難しいなぁ」とはにかみながら、
「少し考えたい」との返答、
彼女からの提案、
「次は少し遠くに行ってみよう」だなんて話しながら、
「今日は楽しかった」という言葉とともに、
ホームで手を振って別れる。
笑顔で「風邪引くなよ」だなんて言いながら手を振る彼女、
それが私の観た彼女の最後の姿だった。
彼女を乗せた電車は、
勢いを増して進んでいく。
そして程なく私も電車に乗る。
両車は二人の間を引き裂くように、
真逆の方向へと進んでいく。
どんどんどんどん進んでいく。
メッセージは続くけれど、
徐々に鈍るレスポンス、
電話をしてもどこか上の空、
次の約束は彼女の「仕事の都合」で流れてしまった。
「電話をしたい」と彼女からのLINE、
まるで瑛人さんの『香水』のようだ。
夜中ではなく日中だったし、
彼女の使う香水のメーカーなんてものは私にはわからないけれど、
「空いている時間、いつでも構わないので教えてください」とのこと、
あれだけ無遠慮だった彼女から敬語で送られてきたメッセージ、
予感は十分にあった。
「ダメかな」と思いながら、
仕事を終えて電話をかけると、
「ごめんなさい」の一言、
「もっとわがままを言って欲しかった」
そんなよくわからない理由だった。
こうして私の恋は終わった。
30を過ぎてからこんな気持ちになれたこと、
そのことは彼女に感謝している。
しばらくすると梅雨が明けた。
通勤途中、民家の庭の一角に見える咲きかけの向日葵、
それを元にこんな記事を書いた。
もう2年近く一度も会っていない相手に対しても、
私の心は引き摺られているのかな。
映画『アラジン』が地上波で初めて放送されたけれど、
私にはそれを見ることはできなかった。
とても良い作品だったと記憶しているけれど、
どうしても心がそちらに向かないのだ。
彼女と繋いだ手の温もり、
正直、その感触は私の手に全く残っていないけれど、
彼女と過ごしたたった一ヶ月の時間は、
私の記憶に残り続けているのだ。
私の「ジャスミン」はいつまで経っても現れない。
いっそのこと、ランプの力を借りてでもいい。
現れてはくれないだろうかと、切に願う。
私にはまた、大切な人と隣に座って、
心から満たされた気持ちで、
『アラジン』を見る日が来るのだろうか。